偶然の技法 その1



■ドラマティックの基本構造

 物語において、偶然とはどのような機能を持つのか? そもそもドラマとは《事情》と《事件》から成立するものだ。
 人は様々な問題を内に抱えている。これが《事情》。だが《事情》だけでは、問題を抱え込んだままになり、ドラマが起こらない。《事情》の抱える問題が表に出てこなければならない。そこで《事件》という異質なものが、均質に続く日常の中へ放り込まれる。すると《事情》がそのままでは維持できなくなり、内に抱えた問題が表に出てくる。
 だったら登場人物はどうするのか? どうなるのか? しかるべき反応・行動を取ることになる。以上がドラマの基本構造というものだ。

 例えば、妹萌えモノのストーリーを作るとするならば。
 妹はお兄ちゃんのことが家族としてではなく、男として愛しているのを隠している。これが問題を抱えた《事情》ということになる。
 対して《事件》とは。妹の恋が他人にバレる。すると妹の「お兄ちゃんが好きだということを隠していなければならない」という問題が表出化されることになる。
 他にも、兄が他の女から告白を受けたとしよう。このままでは好きなお兄ちゃんが他の女に盗られてしまう。だが自分はこの恋心を隠しているので、目立った行動ができない。すると妹の《問題》が表へ出よう、出ようとすることになる。
 というように単純そうに思えるストーリーでも、以上のようにドラマ性を生じさせる仕組みがあるわけだ。

 もちろん例外はある。例えば日常系と呼ばれる四コマ漫画のようなストーリーならば、登場人物は問題を抱えていないし、事件も起こらない。が今は置いておいて先に進むことにしよう。今は基本だ。
 ちなみに《事情》の中へ何かを放り込んで、反応を引き起こすという技法を「リトマス」という。語源はもちろん、溶液の酸性・アルカリ性を調べるために使うリトマス試験紙からきている。使い勝手の良い技法なので憶えておこう。



■事件の起こり方

 ドラマを起こすのに《事件》は必要不可欠である。ならば《事件》とはどう起こるものなのか?
 《事件》とは「起こす(起こされる)もの」と「起こるもの」との二種類がある。

 「起こす(起こされる)事件」とは、起こる理由・原因のある事件だ。
 例えば、事件を起こしたいという動機を持った人がいてみたり。水が高きから低きへ流れるように、放置していても状況が自然と変化して、止められなかったり。
 起こる「必然性のある事件」と言い換えても良いかもしれない。

 さきほどの実例をもう一度取り上げるならば。
 兄が他の女から告白されるのは、妹からすれば突然のように思えるだろう。だが視界の外では、告白という《事件》が起こるための必然性が積み重ねられていった。結果、起こるべくして起こった、「意図的に起こす(起こされた)事件」ということになるだろう。

 問題は、きちんとした理由もなしに「起こる事件」、つまりは「偶然で起こる事件」だ。
 さきほどの実例ならば。自分の恋心が他人にバレるのは、妹の意図に反する。ゆえに隠そうとする。それがバレるには、どこかで偶然の助けが必要となってくる。だからまず偶然の結果として起こることになるだろう。
 例えば、たまたま兄の目の前で危険なブツを落としてしまったとか。たまたま出しっぱなしになっていた日記を読まれてしまったとか。

 「起こる必然性のある事件」というのは、読者も読んでいて納得できるものだ。きちんと「起きる理由」があるのだから。だが全ての《事件》に対して、作者も必然性を用意できるわけがない。第一、書いている方も疲れるし。読んでいる方だって、全ての必然性を把握しながら読もうと思ったら、疲れてしまう。
 しかしドラマに《事件》は必要不可欠だ。すると、どうしても偶然の要素は欠かせなくなってしまう。
 だが「偶然の事件」にはデメリットもあるのだ。


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