キャラシーで人物造形(10)




 素晴らしいキャラクターをどうやれば作れるのか。考えた時に、まず設定のアイデアから作ろうとする人は多いのではないでしょうか。
 そしてナイスアイデアが出てくるまで、小説を書こうとしないだがナイスアイデアなんて、そうそう出てくるものではない。結果、「書かない」「書けない」ということになる。
 その間に、自分がむかし思いついたハズのアイデアで他人が面白い作品を書いて、評価されてしまう。俺が先に考えていたのにと悔しい思いをする。
 珍しい話ではありませんね。

 でも。以上のレッスンを実際にやってみた方なら分かったのではないでしょうか。サイコロで偶然に出来たはずのキャラクターでも、細部の設定を詰めて、動かしてみることで、案外に魅力的になってくるものです。
 だったら創作における人物造形にとって、ナイスアイデアに意味はあるのか。

 中国絵画の理想を表した言葉に「気韻生動」というものがあります。描かれたモチーフが生き生きとして、生命が宿ったかのように感じることをいいます。
 また動画を意味する「animation[アニメーション]」という言葉はもともと、ラテン語で「霊魂」を意味する「anima[アニマ]」が語源です。
 生命があるから動くのではない。動くから生命が宿っているように見えている。つまり「良いキャラクター」かどうか、なんて実際に動かしてみるまでは誰にも分からないし。動かしてみれば誰でも魅力が出てくるものなんですね。

 その点、キャラシーを使えば何十人でもキャラクターを作れます。実際問題、TRPGは創作の良い教材となります。どんどん普段から妄想して、キャラクターを動かす感覚に慣れておきましょう。
 イメージが強固なものになれば、それだけ描写力も分厚いものとなり、さらなるキャラ萌えを期待できるようになります。
 妄想こそ創作家にとって最低必要な能力であると同時に、最大の武器です。

 平安時代の貴族は、誰かに恋するといっても、直接顔を見ることはまれでした。ならば、どうやって恋したのか。
 その人の噂を聞く。生け垣の向こうに、人影が見えただけ。恋文を交換する。会いに行くが会えないで、思いが募る。それだけで互いに恋を深めていった。
 つまり人間自身ではなく、その人に付与された印象に恋していた。見えない、ゆえの恋。そこにいない人の姿を思い浮かべる。つまりは面影。
 平安貴族は「面影」に恋をしていたといっても良いでしょう。これって「萌え」に似てませんかね? 萌えも結局はバーチャル。非実在人物に対する印象ですし。


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