日本における創作人口の配分について



 ある方が、調べてみたら創作歴十年という人が大勢いてビビっていた、という話をしていたのです。でもボクはその驚きに対し「いや普通だろ」と返しました。
 どうも日本人は創作が好きな民族のようです。記紀の昔から貴族ではない、農民の作った歌が残されているくらいだし。江戸時代すでに識字率が高かったのは、広く読み物が好まれていたせいだというし。現代だって他の国では文盲率が高いので代筆屋が珍しくないのに、日本では女子高生がケータイ小説を書いていたりするのですからね。

 今だってコミケへ行って御覧なさいな。何千人という創作家が見受けられます。どうせコミケなんてエロだけだろ、なんて考えないように。
 ボクは良く「文芸系」と呼ばれるジャンルのサークルを好んで回っていましたが、アレも凄いですよー。あるトコロなんて、大河ファンタジー小説を書き続けて、全五十巻くらいあったりする。どんだけの年月と情熱を捧げているんだと。
 更には十年や二十年どころではない。以前ボクがお会いした方は、アマチュアとして俳句を書きため続けて五十年。今度やっと自費出版で句集を出すことになりましたとかね。
 文学に限らず。絵も音楽も、ともかく全ジャンル的に、日本では創作人口が多いようです。

 ところでスポーツでは競技人口の多さが、トップの高さも決定づけているようです。
 だいたいが競技人口の配分というのが実力順に「△」みたいなピラミッド型になっている。底辺のすそ野に素人が大勢いて、上の実力になるに従って競技者はふるい分けられて少なくなり、頂点に一握りのトップアスリートがいる。注目されるのはトップだけだが、すそ野が広くないと、頂点も高くなれない。
 だから愛好者の多い日本は野球が強いし。普段から子供たちが遊んでいる南米ではサッカーが強い。
 これはもう、国策ではどうにもならない。民族性であり文化の問題になるのでしょうね。

 そして創作人口の多い日本では、もちろんエンタテイメントの分野で世界的な評価を得ています。しかし、創作をやっている人なら薄々お気づきになっているでしょう。創作における人口配分はどうも独特なバランスをしているようです。

 まずは初心者の広いすそ野がある。これは分かる。次に中級者の厳しい上り坂がある。ここまでも分かる。ところがプロの域が見えて来たらと思ったら、そこには長大で高い壁と、狭い門があるのだ。更に上へ行こうにも行けず、門の前にはプロではないというだけの実力者たちがひしめき合う結果となる。その様子はまるで《魔物》たちが闊歩する人外魔境です。
 ゆえに日本の創作人口配分は「△」ではなく「土」のかたちをしている。
 ちなみにこれがアメリカのような外国なら「二」のかたちをしている。地上と空中庭園とに分割されている。プロしか創作しない。そもそも職業創作家でないと、創作なんてしないものなのだ。プロでもないのに創作活動を続けているような人は、他の国だと変わり者扱いをされる。

 だから日本において「プロではない創作家=下手だからプロになれない」のかというと案外に違う。創作を仕事にしなかっただけとか。本業が忙しいからプロに専念できないとか。家業を継がなくてはならないとか。事情があるからプロ創作家にならない、という人は大勢いる。実際、プロになったとしても兼業作家を続けている人は多いのだし。
 だから「魔物」といってもプロ以下とは限らない。プロ同然、もしくはプロ以上の実力を持ったままアマチュアでいる「魔物」は少なくないという。日本は不思議な国です。

 更にこの「魔物」たちは人口密度が増すことで、自分たちの居場所を広げようと、門ごと《壁》を上へ上へと押し上げている。だから初心者のすそ野から《壁》までの道程は年々遠くなっている。初心者にとって、はた迷惑な話だ。
 じゃあ、この壁にまで辿り着いたとして。どうすれば魔物の群れを突破し、壁を越えられるか。
 まず良くあるパターンなのが、「俺なら他人の思いついていないアイデアさえ閃けば、いつだってプロデビューできるぜ」という人。これは、まず無理だ。
 なぜなら人間、誰もが似たようなことを考えてしまうもの。壁に抜け穴がないかと探したところで、その抜け穴の前は、魔物たちが余計に集まっているだろう。ただでさえ人口密度の酷い人外魔境で、抜け穴の前は激戦区となっている。

 そもそも「俺ならアイデアという抜け穴さえ発見できれば、いつでも」なんて考えが甘い。そんな願望をまだ持っているとか、その人がまだ魔境にも入ってもいない証拠だ。大体が、周囲に凄い実力者が揃っていると人間、謙虚になってくる。だからハイレベルな魔物ほど謙虚になる。逆に初心者ほど、プロになれるという自分の夢を信じて疑わず、自慢ばかりしたがる傾向にあるようです。
 だったら、どうすれば魔境を越え、壁をも乗り越えられるのか。腕っ節で魔物たちをかき分けるしかない。強ければ越えられる。弱ければ負ける。単純な話ですね。だから魔境に入ってからの成長は、今までの修行時代に比べて極端に遅くなる。
 でも突き進むしかない。魔物たちは謙虚になるとはいっても、遠慮はしないものなのだ。

 ゆえに、壁を越えてプロの領域に入れたとしても。そこは突出した腕っ節を持っているがゆえに、行き着けた者たちの巣窟。
 さっきまでいた場所が餓鬼修羅畜生の群がる人外魔境の荒野だったとすれば。プロの領域はハルマゲドン巻き起こる天上界だ。行くも留まるも、どのみち地獄しかないという話である。

 ところで、この人外魔境にそびえる壁とは何なのか。
 芸事の修得過程を表現するのに「守破離」という言葉がある。「守」の段階をゴールするのは、面倒でも案外と簡単です。自分を導いてくれる他人がいるのだから。問題は、独自の道を拓く「破」からだ。この先は、もう誰も自分を導いてくれない。前へ前へと進めるという保証すらない。だがココを越えないと、創作家は独自の作風を打ち立てられない。
 なので漏れなく全ての創作家は、守から破へと至る途中で苦労することとなる。このことをボクは「守と破のあいだにある壁」と呼んでいる。「人外魔境の壁」の正体とは、つまり「守と破のあいだにある壁」のことなのだ。
 自分だけの作風を打ち立て、独自の流派を興せるだけの人間なら、いつだってプロになれるっちゅう話ですよ。……なのにプロ以上の実力を持ちながらアマチュアでいる人がわんさといるというのは、日本って本当に不思議な国です。

 しかし、こうした豊かな土壌を持っているからこそ、日本では豊かな創作の恵みを得られている。
 例えばボーカロイドのブームだってそうだ。あれは、ボーカロイドが登場したから、いきなり優れたミュージシャンが誕生したのではない。ずっと昔から音楽をやり続けてきた人口が多いから。優れた技量を持った人が、簡単にピックアップされるシステムが出来た時、改めて注目されるようになったというだけの話です。
 そう考えると、いつでも外部からプロの世界がひっくり返される可能性を秘めている。日本って面白い国だと、つくづく思いますよ。
 わけわからん。

 ですから皆さんも。まずは《魔物》の仲間入りを目指すところから始めましょう。でないと《更に上》でなんて戦えませんからね。



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