自分が本当に書きたいものを知ろう
その3

        嫌よ嫌よも好きのうち




 ところでこの好き嫌いのリストアップという作業で、案外に難しいのが「嫌い」探しになります。

 それも当然かも知れません。だって自らの嫌悪するものを直視しなければならないのだから。
 けど好きと同じくらい、嫌いというのも大事な感情です。嫌いな、見たくない自分の姿も、不可分な自分自身には違いない。

 例えば、あなたの嫌いな人がいたとする。でも考えてみれば当たり前ですが。嫌いな人だって、自分なりの考えを持っています。あなたが嫌っているというのとは無関係に、その人なりの正しさで行動している。
 あなたが嫌っているからといって、「それ」が間違っているとか、悪いとは限らないわけですね。同時に、あなたが好きだからといって、「それ」が正しいとも限らない。

 自分の「好き」だけに囲まれて、「嫌い」のない人生とはどのようなものか。人間を国家と政治家に喩えるとそれは、イエスマンだけを傍に侍らせた独裁者みたいなものです。
 たった今、短い間だけは気分が良いかもしれない。けど現実は誰にも合わせてくれません。時間は無慈悲に流れ、現実は刻々と姿を変えてゆきます。
 イエスマンの意見しか聞かず、世の中には自分の嫌いなものもある、という現実を直視しなければどうなるか。あなたという国家は近いうち、現実に対応できなくなって、破綻することでしょう。

 だから好きと正しさ、嫌いと悪とを混同しない。別問題として、自分自身を冷静に見つめ直す。客観性を持つ。
 そして、相手の立場になって、他人の気持ちを考える想像力を持つ。作家には不可欠な能力ですね。

 むしろ、嫌いなはずのジャンルでも突き詰めるうちに、何か新しい自分を発見することだって珍しくはありません。
 例えばボクはロックがあまり好きじゃなありません。けど、たくさん聞いていると、中には気に入る曲もあったりする。そこで気に入った曲を密かに集めていたりしますが。行く行くは、パターンが判明するようになるかもしれない。もしかして自分はロックが嫌いなのではなく、別の要素が気に入らなかったのではないだろうか……。
 ……というように。自分の受け入れがたい、自分の知らない他人と出会うことで、世界を広げるチャンスにもなるはずです。


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