【意味/いみ】




 意味とは何か。「指し示すもの」とか「内容」であるとか、実は「意味」と言う言葉を説明するのは、かなり難しい。
 そこのところをボクはあえて、「意味」とは「用途」であると解釈している。

 例えば「林檎」と言う単語がある。この単語は、赤くて丸くて甘酸っぱいあの果物をイメージするための代用品として機能している。
 つまり、言葉は何かのイメージを代用するために使われるている。その「使い方」「使われ方」すなわち「用途」こそが「意味」と言うことになる。
 誰か人が、それを何のために使うのか。これが意味ではないかとボクは考えているのだ。

 では同じ言葉でも、理解できない外国語ならどうなるか。外国語でも意味はある。しかしその単語をどのように使えば良いのか、理解できる人間がいなければ、言葉は意味を持てない。
 使う人がいるから意味が生じる。人が利用できなければ、意味は生じない。

 意味と言う言葉はどのような使われ方をするものなのか。この考え方なら、いくつかの解釈ができる。
 例えば、「人生の意味」とは何なのか。これは、どのような用途で自分と言う存在は「使われていたのか」と言うことになる。
 つまり「生きる意味」が欲しい人は、奴隷になると良いと言うことだ。ご主人様が自分をこき使ってくれる。働くことで自分は意味を与えられる。

 でも実際に、毎日会社で働いていても「意味を感じない」と言う人は大勢いる。どうしてか。
 これは恐らく、労働が自分にとって、給料以上の役に立たないからなのだろう。自分の存在が自分にとって役に立っている、すなわち自分が自分の幸福のために存在していると実感できないから、「生きる意味」を見失っているのだ。
 こう考えていると、意味って、そんなに重要でもないような気がしてくる。

 例えば、宇宙の存在に意味はあるのか。そんなものない。
 意味とは、人が利用できるものにしか生じない。だが人は宇宙を支配したり、利用したりすることはできない。宇宙の中に存在する「何か」なら意のままに動かすこともできるだろうが、それまでだ。
 なぜなら、宇宙は人間の意図とは関係なく存在している。
 目の前のものが役に立つかどうか、だなんて考えるのは人間の身勝手だ。そんなもの当人以外にしてみれば、知ったこっちゃない。
 だから、誰か他の人間や、もしくは自分自身に意味づけしようというのは、実はものすごく失礼な行為だ。

 これは自分にとって役に立たないものである。だから無意味である。無意味なものは、存在しなくても良い。
 でもそれって本当だろうか。
 「役に立たない」と思っているのは、自分にとってのみだ。無意味と断定された相手は、宇宙が誰かの意図とは無関係に存在するように、意味づけしている人間とは無関係に存在している。

 だから人間関係において、相手をレッテル付けるのはやめた方が良いかもしれない。
 あなたが誰かを「優しい人」とか「怒りっぽい奴」と判断するのは自由だろう。しかし他人は、あなたのそんな思惑、つまりは意味付けと関係なく存在している。
 あなたが誰かを「こんな奴」だと断定している時、あなたは自分が世界の中心にでもいると錯覚しているはずだ。それは、世界の全てが自分の思い通りにならないと気が済まない、と言う傲慢である。

 と、ボクは意味と言う言葉の意味をこう意味付けているのだ。



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