【元型/げんけい】




 ユング心理学のことば。英語では「archetype(アーキタイプ)」。
 アニマとか、アニムスとか、シャドウとか、トリックスターとか、グレートマザーとか、元型の種類には色々ある。でも最初からそんな専門用語を憶えようとするから、訳がわからなくなる。
 じゃあ元型とは何なのか。

 英語のアーキタイプには、模範とか手本とか言う意味がある。
 つまり、人間のものの考え方には一定のパターンがある。もしくは、人間は何か物事を考えるとき、パターン化して考える、と言うことだ。

 例えば二足歩行ロボットは、どうやって歩いたり走ったり座ったりしているか、知っているだろうか。右足を踏み出したら重心が何グラムあちらへ移動するとか、いちいち計算しているのだ。
 同じように、もしもロボットがレストランで食事をしようとするとどうなるか。レストランに入って、椅子に座って、メニューを受け取り、注文する……とあらかじめ、予測される全ての行動をひとつひとつインプットされていないと、ロボットにはレストランでの食事もできない。
 ロボットは、と言うよりはコンピューターは、ひとつの判断を下すのに、いちいち瑣末な計算までしないと、決定を出せないのだ。

 では人はどうやって行動しているのか。
 例えば歩いている時。人は「歩いている自分」と言う、もうひとりの自分をイメージしている。そのイメージの真似をすることで、人は行動できる。同じように、椅子に座る自分、レストランで食事をする自分、恋人と語らう自分、と色々な「誰か」のイメージが自分の中に大勢いる。
 つまり自分の中にいる「誰か」をモデルとして、真似をすることで人は行動しているのだ。

 逆にも考えられる。
 あらゆる事物をひとつひとつ全て認識しながら行動していては、脳の情報処理能力が追いつかない。必要な情報だけを「大雑把」に選択して、不要な情報を切り捨てなければならない。そこで人の精神は、自身の一部分だけを擬人化することで、必要な情報を引き出しやすいようにした。
 その「擬人化された人の精神の一部分」のかたちが元型である。

 例えば、とある中学生の少年がいたとしよう。彼は高校受験を直前に控えていた。しかしまだどの高校を受験するか決めていなかった。彼には自分なりに希望の学校があったのだが、結局は母親の言う通りの高校を渋々受験することになった、とする。
 では彼が受験する高校を変えたのは、誰のせいだろう。単純に考えれば母親のせいだと言うことになる。だが実際には違う。
 彼は「母親に従う自分」と言うモデル、もしくは自分の中の「母親のイメージ」を自ら選んだから、受験する高校を変えたのだ。他人に従ったからではない。人はあらゆる意味で自分に忠実である。

 人生において何らかの選択をする時、人は心の中にいる「誰か」の指示に従って選択を下している。人に自由意志があるとしたら、その心の中にいる「誰」の指示に従って行動するかと言う、選択の幅に過ぎない。
 無から有は生まれない。全くのゼロの状態からは、人は何も選べないのだ。

 良く「新しい自分との出会い」と言う。これもゼロだったのが、いきなりどこからともなく「新しい自分」がやってくるのではない。
 ずっと「新しい自分」となるべき材料は、蓄積され続けていたのだ。「無かった」わけではない。まだ、はっきりした「かたち」になっていなかっただけだ。
 それが何らかのきっかけで、輪郭線を与えられる。今まで自分で気付かなかった、自分の資質を発見する。
 これが「新しい自分との出会い」である。



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