偶然の技法 その4



■偶然は意味化される(1)

 それでも御都合主義的な偶然を使いたいというのならば、作中でどう使うか。どこで使うか。厳選に厳選を重ねて、一度のみにしておこう。それも、作品の主旨に関わる、重要なポイントとして使うのだ。
 偶然の起こす影響が、後で大きければ大きくなるほど、読者はその偶然を運命的な必然だと思ってくれるようになる。
 この働きを意味化という。

 物語とは作者の被造物である。ゆえに物語には完全な偶然は存在しない。読者も物語中の偶然に対しては、「それで、どうなるのだろう?」という期待感を抱きながら読み進めることになる。
 前進してこそのストーリーだ。そして偶然自体に、はじめ意味はない。読者は偶然に、どのような意味があるのかを考えながら読み進めるのだ。

 例えば意味化の機能にどのようなものがあるかというと。
 落雷は神の怒りである。博打の勝敗は、ツキが向いているかどうかで決まる。一目惚れは、運命の出会いだ。……というように偶然の向こうへ、何者かの意思をイメージする。認識できない何かの働きを読み取ろうとする。
 そして被造物の役目とは、人の想像力をかきたてることだ。
 物語の偶然に対して読者は以上のように、作者の意図であるとか、物語機能という、何らかの意味を読み取ろうとするのだ。

 前回で紹介した伝説の剣を手に入れる話を、アーサー王物語と比べてみるとするならば。
 石の台座に突き刺さった剣を抜いた者が王である。名だたる騎士たちが挑戦するが、誰も剣を台座から抜くことはできない。そこへ馬上槍大会へ出場する兄の付き添いで、アーサー少年がやってくる。もちろんアーサー少年も剣に興味がある。自分も挑戦したい。でもチャンスがないので、コッソリ抜け出す。つまり他でもない自らの意思で剣を抜こうとする訳だ。
 かくしてアーサー少年は剣を抜く。ところがその剣を見た兄は王になりたいがために、自分こそが抜いたのだと主張する。だが再び剣を石に突き刺すと、兄では抜けなくなる。そうして兄は弟のアーサーが剣を抜いたのだと正直に話す。
 と、ここが上手い。さっさと抜かせない。単に都合の良い話にはしない。そうして最後にアーサーは父から、実はおまえは王の息子だったのだと明かされるのだ。
 どこにでもいる、普通の少年なら誰でも良かったわけではない。また偶然の結果、剣は誰でも選んだのでもない。王の息子だったという運命を背負っているがゆえに、王を選別する剣が抜けたのだ、ということになるわけだ。

 これが、たまたま勇者がいたから、伝説の剣が手に入った。たまたま伝説の剣がそこにあったから手に入った、では御都合主義になってしまう。
 また最初から王の息子だから剣を抜けると分かっていては、面白味がない。

 重要な事件は、誰にでも起きて良いのではない。主人公の座は交換可能ではいけないのだ。さもなくば、最初は誰でも良かったとしても、後になって「コイツこそが主人公に相応しい」と読者が感じるようにならなくてはならない。まるで、あらかじめ定められた運命のように。運命ほどの大切な《意味》を読み取ってこそ、読者は物語に納得できる。
 だから「事件は必然であるべき」なのだ。


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