物語の速度・規模 その9

        相似形のトリミング




 何を書くべきかは定まった。ならば次は、何を書かないべきか、どう削るのか、という基準がどこにあるのかという問題になる。

 書いても書かなくても良いというのなら、せっかくだし書き込みたくなるの人情だ。だが、あまりに関係のなさ過ぎる内容が続くと、フォーカスがズレて、ピンボケした作品になってしまう。
 例えば小学生の日記だ。

《例》
「朝起きて、歯を磨いて、遊園地に行って、帰って寝ました、たのしかったです」

 読んでみて、どうだろうか?
 起きたとか歯を磨いたといった内容は、誰でも、いつでもやっていることで重要ではない。読者が知りたいのは、特別な内容のはず。今回ならば遊園地でどう過ごしたかという内容のはずだ。だが日常の記述に埋もれて、遊園地に関する記述が少なくなっている。つまりフォーカスがズレている。

 かのように、削ってはいけないものと、削っても構わない内容との線引きは難しい。そこで《トリミング》である。
 トリミングとは、暗室やコンピュータ上での写真の画像処理において、画面の一部だけを切り出す加工のことだ。



 上の図を見て欲しい。図の左にあるのは、公約数的に単純化された物語のモデル図だ。
 安定した日常の《ここ》から、非日常的な異界である《よそ》へ行き、再び現世である元の場所《ここ》へ戻ってくる。
 このモデルは多くの物語に共通して使われている。ファンタジーの王道、いわゆる「ゆきてかえる」物語を思い出してくれれば、例として分かりやすいのではないだろうか。

 このモデルをどうやってトリミング・切り取るか。
 左右にズレてもいけない。上下にズレてもいけない。山頂をフレーム内に入れる形で、しかも左右対称に切り取るのだ。そうして上手くトリミングすれば、切り取る前後で相似形の放物線となる。

 といっても抽象的な話になので、実際に文章ならばどうなるか。
 まずは基準として表現のフレーム、つまりはトリミング後の分量を決めておこう。
 そうしたら、ここからが注意だ。トリミングの前後で、主旨[フォーカス]は同じでないといけない。ということは要約した粗筋が同じになってないといけない。放物線があらすじに当たると思ってくれれば、イメージしやすいかもしれない。
 すると、もともとは長編だった作品も、トリミングすることで、短編化することも。また逆に、短編を長編化することも可能になる。短編とはつまり、放物線の山頂だけを切り取ったものなのであり。長編とは山頂から、麓までじっくり描写したものなのだ。

 と以上。スケール、フォーカス、トリミングの考え方は絶対に必要というわけでもない。だが便利ではある。描写の精度が高くなるはずだ。
 かなり抽象的ではあるが、実際に描写をやっていくうち、参考になるはずだ。憶えておいて損はない。


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