物語の速度・規模 その8

          フォーカスと辺縁




 ならば、決められたひとつのフレームの中に、何を描くか。むしろ、どのくらい描くかという問題だが。そのための基準が《フォーカス》になる。

 フォーカスとは写真でいうピント。中心となるものが定まっているか、という意味だ。文章ならば主旨ということになるだろう。
 写真を撮影する際に、最も注目したいモチーフにピントを合わせる。するとそこだけ鮮明になり、他はぼやける。つまり、撮影したい中心以外だけきちんと伝われば、他は省略しても構わないということだ。

 ところで絵や映画とは違い。実は、小説に明確な区切り線のある「枠[フレーム]」は存在しない。
 小説の知覚フレームに最も似ているのは、人の視界だ。人の視界にも枠はない。自分が注目したい中心があり、他は視界外へと向かうとぼやけて、やがて見えなくなる。
 フレームには明確に、中と外がある。だが人の視野にあるのは、中心と辺縁だけ。どこからが中で、どこからが外なのか、曖昧なのだ。


 写真ならば、最も撮影したいモチーフにフォーカスを合わせるとどうなるか。背景と比べて、画像が鮮明になる。またフレームの中心に、大きく、モチーフを設置するのは写真術の常道だ。
 これを文章に応用すると、どうなるか。

 表現のフレームにより、文章量が決まる。文章量は写真でいう、枠に相当する。ならば、一定の文章量に対して、最も伝えたい、フォーカスを当てているモチーフの描写を増やせば良い。描写の割合を多くすれば良いのだ。するとフォーカスを当てているモチーフは必然的に、フレームの「中心」へ設置されることとなる。
 描写を多く費やすということは、焦点子がそのモチーフに注目している、ということになる。主旨以外は、別に書いても書かなくても構わないのだ。
 また詳細に描写するだけでなく。文体として、断定形を使ったり、事実に基づいた情報を使うことで、「鮮明さ」の演出ともなるだろう。主旨は強調しなくてはいけない。

 ちなみにこうした、1モチーフあたりに詰め込んだ描写量や、1フレームに詰め込んだ描写量のことを、ボクは「文圧」と個人的に呼んでいる。
 だから1フレームの中に詰め込んだ文章から、重要な内容を減らして、主旨以外の辺縁に関する描写を増やせば、文圧はスカスカになるわけ。わざと読み飛ばして欲しい箇所に使うと便利なテクニックである。

 究極的なところ文章なんて、主旨さえ伝われば良い。「屋上だ、人が来た」程度の素っ気ない描写でも充分だったりする。だけど、やはりそれだけでは味気ない。
 だから、あとはその「屋上だ、人が来た」という以外に、どんな印象を読者に与えたいか。

 例えば与えたい印象が「これから失恋する寂しさ」だったとしよう。するとメートルとかセンチとかの、正確な寸法は必ずしも必要ではない。枝葉末節は削る。
 主旨は「屋上だ、人が来た」なのだから、これに印象をを付随させる。例えば「夕暮れの屋上。思い詰めた顔の彼女がやってきた」というように。
 そうすればフォーカスがズレることはない。

 だからハコガキも実は、フォーカスのためにあると思って良い。
 フォーカスに最適な、唯一の使い方などというものはない。だがフォーカスの概念は、描写を行う際の重要なコツになってくれるだろう。


← Return

Next →


Back to Menu