「逃避した表現」に関する注意 その5

     ファンタジーにおける「気が付くと」



 小説として逃避した表現をしないためにはどうすれば良いのか。これからお教えしたいと思いますが。この小説として逃避した表現の実例として、「気が付くと空を飛んでいた」という一文を挙げさせてもらいます。

《悪例》
「太郎は悪漢に崖から突き落とされた。しかし背中から翼が生えて、気が付くと空を飛んでいた。助かった」

 「空を飛ぶ」と言うイメージは、非現実の象徴です。ファンタジー作品の描写例にはもってこいのモチーフと言えるでしょう。
 ちなみにこの「空を飛ぶ」が、「超能力に目覚めた」や「イヤボーン」に置き換えられたとしても。基本的には同じことですよ。念のために。
 では、この「気が付くと空を飛ぶ」をどうすれば描写できるか。実際のプロセスを追いながら、説明させてもらいます。

 まず注意しておきたいのは。「気が付くと」と言う語が、かなり三人称的な意味を持っていると言うことです。自分で自分のことを認識することは出来ません。

《一人称の悪例》
「私は顔を赤くした」

 ならば「(自分の意識が)気が付く」までの時間を、焦点子(視点の持ち主のこと)はどうやって認識していたのか。また「気が付く」までのあいだ、焦点子は何をしていたのか。それ以前に、焦点子が自身でどうやって「自分は何かに気が付いた」ことを理解できたのか。
 一人称文での「気が付いた」には、多くの矛盾が生じます。

 ですから安易に一人称文で「気が付くと」を多用すると、すぐに問題が起こることになるでしょう。一人称文で「気が付くと」は、表現として白々しいところがあるのです。。
 一人称で使うのならまだ、「気が付くと」より「意識が戻ると」とでも書いていてくれた方が、表現としては気が利いている、とすら言えるでしょう。

 以上を踏まえた上で、「気が付くと」の内容を詳しく描写するとしましょう。
 まずは意識を失うか、注意力が分散する。それから集中力が戻って、何かを認識して驚く。このプロセスが「気が付くと」と言うものです。
 このように「気が付くと」の中には、たくさんの思いや、アクションがつまっているのですね。ましてや「気が付くと空を飛んでいた」と言う文になると。「空を飛ぶ」と言うのはファンタジーの象徴的なイメージです。その中身たるや、かなりの情報量が詰め込まれているはずです。ですから、この圧縮された中身を解凍してやるだけで、描写としては適度な情報量となってくれます。
 これは、三点リーダーの回で説明した内容と似たようなものですね。

 では試しと言うことで、ボクなりに「気が付くと空を飛んでいた」と言う一文を描写してみました。
 いかがでしょうか?

《訂正例》
「太郎は悪漢に崖から突き落とされた。太郎の背中から翼が生える。太郎はまだ、この翼で空を飛べたことはない。だがそんなことは関係ない。今この時、飛ぶしか他に助かる手段はない。崖下から強風が突き上げて吹く。風を受けた翼は弱々しくあおられて、羽ばたくどころではない。体重の軽い太郎は落ちながら、糸の切れた凧のように、中空をくるくると回った。状況は余計に悪化している。崖下の海面まであと少し。この高さなら、海面に叩き付けられても確実に死ぬ。混乱した意識の中で、太郎はただ死にたくないと言う思いだけを集中させた。ありったけの力でもって、思いっきり羽ばたく。翼の起こした風圧が海面を打ち、激しく波立つ。落下が止まる。海面の上で弱々しく浮き上がる。そのまま太郎はがむしゃらに、何度も羽ばたいた。体は急上昇する。上昇する勢いが早すぎて、血の気が下がり、一瞬だけ気を失う。だが、羽ばたきはやめない。そして、ようやく視界が戻った頃、眼下には(以下略)」

 気持ちの推移を丁寧に書く。アクションの中身を具体的に分析し、説明する。ボクが意識したことは、このふたつだけです。
 やろうと思えば、いくらでも文章を増やせるでしょう。最低でも、「書けません」とか「書くことがありません」と言うことは、ないはずなのです。



 ならば今度は、作品のどこに重点を置けばよいのか、と言う問題が起こります。それを判断するためのコツとして。ひとつの分かりやすい例を紹介しましょう。

 断絶した異質な複数のイメージ同士が、連続性を持って結び付く。そこが、作品の主題が最も明確に表れやすくなる箇所です。

 これは例えば、ラブストーリーならば、他人同士だったふたりが、一緒になる瞬間。例えば、告白シーンや、キスシーンなど、いわゆる《象徴としての結婚》のシーンと言うことになるでしょう。
 そして、これがファンタジーの物語だったとしたら。日常から非日常へ変容する瞬間と言うことになります。

《例 : A−1》
「気が付くと異世界に召喚されていました」

 では次に、こうした「断絶した異質な複数のイメージ同士が、連続性を持って結び付く」箇所を、どうやって描写すれば良いのでしょうか。実際に描写する作業を通して説明します。
 仮に、異なるふたつの状況。《状況A》と《状況B》とがあったとしましょう。
 すると先程の例文「気が付くと異世界に召喚されていました」において《状況A》と《状況B》は、次のようになります。

《例 : A−2》
「気が付くと異世界に召喚されていました」
 ・ 状況A = 日常 = 現実世界
 ・ 状況B = 非日常 = 異世界

 ではこの一文をどう描写するのかと言うと。
 物語が展開して《状況A》から《状況B》へと移行する際。これら断絶した異質な両者を繋ぎ、仲介するものを作ってやるのです。別の言い方をするならば、連続性を持たせてやるのです。
 この仲介を作る実例として、もう一度「気が付くと、空を飛んでいた」と言う一文を挙げさせてもらいます。

 「気が付くと、空を飛んでいた」の一文において、《日常》を象徴するのは、空を飛んでいない状態。すなわち「地上」と言うことになります。対して、空を飛ぶと言う飛翔のイメージが、《非日常》の象徴と言うことになります。
 ならば「地上」と「飛翔」を仲介するものは何か。それは「翼」です。
 以上を踏まえて「気が付くと、空を飛んでいた」と言う一文を描写すると、どうなるでしょうか。

《例 : B》
「気が付くと、空を飛んでいた」
     ↓
「気が付くと、翼が生えて、空を飛んでいた」

 ほんの少しですが、これで「空を飛ぶ」と言う行為にリアリティが付加されました。
 これでもまだ、ファンタジーとして荒唐無稽で説明不足である。リアリティがないと言うのなら。すると次は、「地上」と「翼」を仲介する描写をしてやる。もしくは仲介する設定を考えてやる、と言うことになります。

 こうした作業を積み重ねることで、リアリティと言うものが起ち上がる。
 メルヒェン[空想]の世界が、明確なイメージを持ったファンタジー[幻想]になる。
 荒唐無稽の妄想が、《小説》となるのです。

 ちなみにこの「断絶した異質なイメージの結合」の概念とは、ファンタジー作品における秘伝。「とっておき」です。
 ファンタジー作家を目指す者なら、憶えておいて損はありませんよ。

 また「異なる複数のイメージを結びつける」と言う作業。これは文章が最も得意とする武器でもあります。比喩などは、この作業の代表例と言えるでしょうね。
 文章家なら、このことも憶えておいて損はないはずです。


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