偶然の技法 その3



■偶然での解決


 というわけで、ひとつ原則の紹介だ。偶然で問題を解決させない。最低でも、偶然の解決は多用しない。
 実は、偶然の解決をさせないだけで、かなり御都合主義感はなくなる。

 例えば、魔王を倒したいのだが、そのための手段が見つからずに困っている。ところが、道端に伝説の剣が落ちていることに気付いた。やったー! これで魔王を倒すための問題は解決したぞ! めでたしめでたし。
 と、これでは読者は納得できない。

 読者が注目するのは「それで、どうなる?」という展開だ。偶然の解決だと、読者は「どう解決したか」を注目しなくなる。面白さの焦点が変わってくる。偶然の解決で読者が注目するポイントは「偶然の解決が起こって、それでどうなる?」という点の方になるのだ。つまり偶然が起きただけでは面白くならない、ということである。
 例えば、失恋で傷心の女が旅に出た。そこでたまたま新しい男を見つけて恋に落ちました。めでたしめでたし。良くあるパターンのストーリーではある。
 だが、このままだと面白くも何ともない。「だから、どうした?」という読者の問いかけに対する返答がない。そもそも、どうして新しい男と出会ったのか。作者が、女の傷心を癒させたかったけじゃないか。
 つまりは御都合主義にしか読めないわけである。

 ならばどうするか。とりあえずは「それで、どうなる?」が必要である。偶然の事件が、物語を展開するために機能しなければならないのならば。
 再びさきほどの、旅に出る女の物語を挙げて、更に改稿してみよう。
 女が旅に出た。そこでたまたま男と出会う。男との出会いで、女は失恋で傷ついた心を思い出す。だが男の愛で女はやがて癒されて、ふたりは結ばれる。
 出会って問題が解決したから、物語が終わりではない。どのように解決するのかで、ストーリーを再構築するとこうなる。これなら、まだ読んでいて納得できるのではないだろうか。

 物語とは作者の被造物である。ゆえに物語に完全な偶然はない。物語にとって全ての偶然は、必然の理由があって起こる。というより物語中の偶然は、作品を面白くするために機能しなければならないわけだ。
 そして、実はそのための具体的なやり方については先述している。


「物語において、偶然とはどのような機能を持つのか? そもそもドラマとは《事情》と《事件》から成立するものだ。
 人は様々な問題を内に抱えている。これが《事情》。だが《事情》だけでは、問題を抱え込んだままになり、ドラマが起こらない。《事情》の抱える問題が表に出てこなければならない。そこで《事件》という異質なものが、均質に続く日常の中へ放り込まれる。すると《事情》がそのままでは維持できなくなり、内に抱えた問題が表に出てくる。
 だったら登場人物はどうするのか? どうなるのか? しかるべき反応・行動を取ることになる。以上がドラマの基本構造というものだ」


 つまり要約すると、偶然の《事件》は《事情》が抱える問題を表出させることで、読者の「どれで、どうなる?」という興味を引き出せるようになる
 だからこそ「偶然で問題を解決させない」という原則が成り立つ。問題を解決させるための偶然のことを、御都合主義というのだ。

 そして《事情》が抱える問題なんて、そんな沢山あるわけがない。そもそも、あまり多くの問題を提示しては、作品の主旨がまとまらなくなってくる。加えて、偶然は作品からリアリティを奪う。
 ゆえに「偶然は多用してはならない」のだ。

 それでも御都合主義的な偶然を使いたいというのならば、作中でどう使うか。どこで使うか。厳選に厳選を重ねて、一度のみにしておこう。それも、作品の主旨に関わる、重要なポイントとして使うのだ。
 偶然の起こす影響が、後で大きければ大きくなるほど、読者はその偶然を運命的な必然だと思ってくれるようになる。
 この働きを意味化という。


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