物語の速度・規模 その12

      小手先のリズム形成B



 小説作法においてアクションシーンでは、一文に含まれる単語数を減らして短くすべき、という俗説があるが。この手法、実はあまり効果的ではない。
 一文を短くするというのは、つまり言説時間の短縮ということだ。一文が短くなることで、読者がその文を読んでから理解するまでの時間が早くなる。だからテンポが良くなる、というわけだ。
 これはこれで効果のある場合もあるのだろう。

 しかし「一文を短く」というのは実は、言説時間と物語内時間を一致させているだけなのだ。ということは言説時間のみのリズムで文章が成り立っているということであり。リズムとしては《単調》になってくる。
 更に、言説時間が物語内時間より早くなることはない。すると単調さは増してしまう。
 だから「一文を短く」というのは、テンポの手法として初歩といえる。重要なのは、緊張感までを含めたリズムとして効果を狙うことだ。


 もちろん言説時間を短くすることによる効果も、やりようによっては無視できない。言説時間が短くなる、つまりは読む時間が短くなるということは、読者がその文章を読んで理解するまでの時間が短くなる、ということだ。
 言説時間の操作とは、理解する時間の操作でもある。

 一文を長くすると、意味が難しくなり、理解する時間が長くなってしまう。大長編を読むと、最後の方では最初の内容を忘れている、なんてことが皆さんにもないだろうか。アレと似た現象が、言説時間の長さでも起こる。
 一文が長いと、文章の終わりには最初の印象が薄れてしまう。だから日本語作法においては、「一文は短く」と共に「修飾語は被修飾語の近くに置く」というお約束があったりするのだ。

 だからといって、無闇に文章を短くすれば良いというものでもない。

《例》
A : イモ食った
B : おイモを食べました

 上記の例ならば、例文Aの方が文字数は少ない。「アクションシーンでは単語数を少なくする」の法則でいえば、例文Aの方がテンポは良いということになる。
 だが、これが礼儀正しい人の一人称文ならば、例文Bを使わざるを得ない。語感やニュアンスの関係で、他に置換のできない単語を使う場合もあるだろう。
 文字数は重要ではないのだ。

 例文ABは共に、2文節から成る。問題は脳内でどれだけ情報処理の手間がかかるか、にある。つまりは意味の長さだ。同じ2文節ならば、例文ABとも理解するための時間に大差はない。

 対して、これに修飾語が加わり「おいしいイモを食べた」になると、3文節になる。すると、みっつの単語を一度に理解しなくてはならない分、把握は難しくなり、脳ミソの処理が遅くなる。修飾語は案外と、読むストレスになるのだ。

 ならば「イモを食った。おいしかった」というふうに、二文節と一文節の文章、ふたつに分けてしまう。すると理解の速度は早いままで、テンポは落ちなくなる。

 これを「うまいイモ食う」と文字数を減らしても、3文節の処理が必要なことには変わりない。
 大事なのは読ませ方に合ったテンポを選ぶことだ。アクションシーンのために、言説時間のために、単語の文字数まで削っても意味はない。


 最後に、リズムの良さを知るための、究極の方法を教えよう。音読するのだ。音読すれば、読者がどう読んでいるか。体感で分かる。

 結局は文章技術の根本になるが。自分の書いた文章が、読者にどう読まれているか。相手の身になって考えるということだ。
 テンポやリズムは、どんな読み方をしているか。
 スケールやフォーカスはどうイメージしているか。

 書きながら、常に読者を意識する、ということができれば上等だ。そのための、当技法が手助けになれば幸いだと思う。


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