視点 その62

       Point Of View




 作家の阿刀田高さんが、視点に関してこのようなことを論じている。
 「視点の問題とは、政治家の汚職みたいなもの。見つかったらいけない。だが誰しもが違反をしている」と。
 これに関してはボクも大いに賛成だ。視点なんてバレなければ、律儀に守らなくて構わない。作品の主旨さえ把握していれば、視点なんて気にならないものだ、とは既に説明したところだ。

 ならば、どうして視点など必要なのか。
 フィクションとは、「表現されたもの」だ。現実に存在するものではない。文章ならば、書かれたものが現実に存在しているわけではない。
 その嘘っこに、リアリティを持たせる。表現により、受け手の心の中でイメージとして、再現させる。そのために絵や劇や映画など、それぞれの工夫がある。
 そして文章におけるリアリティ再現の工夫こそが、描写であり視点というわけだ。

 ボクにいわせれば文章の視点とは、絵でいうならデッサンのようなものだと考えている。文章なら言葉、絵なら鉛筆を使って、いかにモチーフの質感を再現するかの問題。
 上手ければ、それだけで作品に入り込めるが。下手糞で狂っていると、途端に漏れなく駄作となる。

 構成に描写、そして視点。これらの小説技法は基本であるが。高度な運用法でもって使うことにより、奥義ともなる。奥義とはいつも、基本の中にあるのだ。逆にいうと、基礎も守れない人間に奥義は、いつまで経っても使いこなせるわけがない。

 構成、描写、視点、だけではない。一人称や三人称、さらにはパースペクティブ。これらは単なる技法というわけではない。
 作家として書くとは一体どういうことなのか。その態度、考え方そのもの。作家として自らが持つ深い思想性は、技法というかたちで表現される。
 つまり、ここに書かれた技法を知ることで、皆さんの思想性・書く態度まで深まるだろう、ということだ。

 告白すると実は……この視点講座の、だいたい「その9:視点の種類(2)」辺りからだろうか。
 そこから先は、ほぼボクのオリジナルである。もちろん、この前までは、きちんと先行論文を踏まえてある。
 けど、そこにボク独自の考えを付け加え、さらにその考えを元に新たな考えを付け加え。それを繰り返した結果の、視点に関する思索の体系が、この視点講座だ。だからこの視点講座の内容は、どんな本にも書かれてません。

 というわけで皆さんは、ボクが何年もかけて視点に関して考えてきたことを、全て受け継いだだけだ。ほんの、講座を読むだけの時間ぽっちで。
 この後、新たな概念を考え出したり、新しい手法を編み出し、付け加えるのは、皆さん各人の役割となります。
 それはきっと、こう呼ばれることでしょう。「文学史上、例を見なかった、全く新しい技法」と。

 もちろんボクも考える。だから、互いに頑張るとしましょう。
 これにて視点講座、終わるとします。以上!


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