【価値/かち】 |
難しいご託はどうでも良い。要するに「大切なもの」と言う意味だ。 一匹のダニがいたとしよう。 彼は生きるために、他の動物の血を吸わなければならない。そこで彼は木の枝の上で獲物を待つ。木の枝の下を動物が通り掛かった瞬間、枝から飛び下りて、獲物に取りつくのだ。 そのために彼は生まれつき、動物の体温を感知する能力を持っている。だから彼にとって動物の体温は、人で譬えれば暗闇の中の篝火のように鮮明に感じられる。 逆に言えば、それ以外のことは彼には認識できない。彼自身の生存のためには、それで充分だ。 さて問題だ。彼の存在、もしくは生涯に価値はあるのか。また彼は自分なりの明確な価値観を持っているか。 答えはイエスだ。 生きるために必要な「大切なもの」が価値である。そして、その「大切なもの」を認識するための、世界の範囲が「価値観」である。 動物の体温が彼に見える世界のすべてであり、血を吸ことが彼の生涯のすべてだ。不要なものが一切ない、シンプルな人生だ。自らの価値のために、純粋な存在であると言っても良い。 一方、人はダニと違って、自分で自分の価値を規定することが出来る。逆に言えば、明確で純粋な価値を持った人間はいないと言うことだ。それが素晴らしいことなのか、下らないことなのかは知らない。 ただダニである彼に比べれば、何が大切なのか知らず、何をすべきかすら知らない、人間の生涯の方が「不純」で「無価値」であるとすら言えるだろう。 かと言って、ひとつの価値を絶対視するのは、人にとって危険な行為だ。 価値とは「大切なもの」であると同時に、自分が認識できる世界の範囲を限定するものでもある。つまり、ひとつの価値を絶対視すると言うのは同時に、別の可能性を否定することでもある。 自分が生きやすい世界のために、自分に都合の良いものだけを見る。都合の悪いものを見ない。人にとっての価値なんてものは、その程度のものに過ぎない。 宗教。人種。民族。伝統。社会。国家。イデオロギー。経済。法律。道徳。哲学。倫理。思想。職業。信念。生まれてきた理由。生きてゆく目的……あー、何でも良いや。 すべてはダニの食事と同価値だ。いや、人の場合はダニよりも「不純」な分、それ以下かもしれない。 良く「本当の自分探し」とか「生きる価値」なんてものがはやっているが。そんなものが欲しいのなら、いっそのことダニにでも生まれ変われば良いのだ。 きっと楽になる。 だがそれは残酷なことでもある。自分が生きやすい世界以外を認めない、自分に都合の悪い存在の生存を許さない、と言うことなのだから。 これが例えば、「主人公は未熟な人間だった。しかし試練の末、揺るぎない価値を得た」と言う物語だったとしよう。珍しくないパターンだ。 でもそれって、本当だろうか。 自分だけが安心するために、その他の世界に属するすべてを否定してはいないだろうか。 それって、「めでたしめでたし」と言えるだろうか。 と言う、これもまたひとつの価値観だ。 |
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