殺人論 その8

   《合法》なる殺人(2)




 ただボクは政治のマキャベリズムに、基本的には賛成している。マキャベリズムとは「政治目的のためにはいかなる反道徳的な手段も許される」とする考え方だ。
 政治は大勢の人間の命に対して責任を負っている。そして世界は優しいだけではない。残酷な顔も見せる。いつだって全人類を救える選択肢が存在するわけではない。時として、誰かの命を預かる者は、ひとりの命を助けるために、他の命を見捨てなければならないかもしれない。
 救える者が限られているとしたら、自分と自分の大切なものだけは守る。赤の他人は押し退ける。それは《道徳》としては正しくなかもしれない。人として間違っているかもしれない。だが、生物としては正しい。これは道徳以前の、弱肉強食のけだものとしての正しさだ。

 ゆえに、貧困から来る戦争は、ある程度は仕方がない部分がある。自分たちが飢えて死にそうになっているのなら、誰かの食べ物を盗みでもしないと、生き延びることはできない。
 正しいとは言わない。ただ間違ってはいない。貧しさが戦争を生むのは、事実だ。だからそう簡単に戦争はなくならないのだろう。

 しかし、貧困ゆえに戦争が起こるのは仕方がないが、ならば豊かな国が戦争をするのはなぜだろう。
 貧困ゆえの戦争はある意味、自己防衛のためである。食うか死ぬかの状態で、他人の迷惑なんて考えている余裕が起ころうはずがない。だが今や太古の時代ではない。全ての国が飢えていると言う状況は考えられない。
 戦争とは政治の延長であり、国益の追求である。これは変わらない。やっていることは同じ。ただ動機が違うことになる。
 ならば考えられる理由は、余計な欲望を充足させるため。つまりは経済戦争である。
 現代の戦争には、生存のためと言う「正しさ」すらない。現代の戦争とは、国と企業が、兵器を売って、他国の資源を掠め取るために起こしている。

 しかし経済のためでは、兵士は死ねない。そこで国は大義名分をでっち上げる。詭弁でも何でも良い。そうして前線の兵士は、正義を胸に抱いて死ぬ。最初から、特に現代の戦争に正義なんてありえないのに。


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