比喩講座 その2




 ちなみに比喩とは、文章独自の表現方法です。他のメディアでは、比喩を使うことはできません。
 例えば映画で「炎のような情熱」という比喩を表現したいとしましょう。ならば、どうすれば良いか。まずは、情熱を持っていると主張している人を映す。その人のバックに特殊効果で炎の背景を映し込む。さもなくばモンタージュにより、炎が燃えるシーンを差し込む。
 出来ることといえば、この程度でしょうか。ですが、こうしたやり方では、決してふたつのイメージが別々のまま。比喩のように、同じところで重なることはありません。

 だったら、文章書きはどんどん比喩を多用すれば良いじゃないか、と思う人もいるでしょう。ですが比喩には欠点があります。比喩は、せっかく小説が統一し、単純化し、結晶させた世界を、また様々なイマジネーションの領域へ分散させてしまうのです。
 簡単にいうと、分かりやすくて面白い文章を読んでいて、内容に入り込んでいたとしても。比喩の使い方が悪いというだけで、読者は冷めてしまう、ということです。

 読者は文章を読んで、どうイメージするか。これを知るためには、デジカメが普及する以前、一般的に使われていた銀塩カメラの写真がどう現像されるのかが参考になるでしょう。
 カメラのシャッターボタンを押すと、中のフィルムが感光される。だが感光されたままでは、フィルムには何も映っているようには見えない。なので、像を浮かび上がらせなくてはならない。これが《現像》だ。そして現像したフィルムは、もう二度と感光して他の像を映さないよう処理する。これが《定着》になる。

 言葉にも《現像》と《定着》、ふたつの機能があると考えてください。これは以前『描写講座』でも、お話したことがありますね。

 そして比喩は特に、この現像力も定着力も弱い表現方法です。
 例えば「花がある」とか「女がいる」という文章を理解し、イメージを浮かべるまでにかかる手間は一瞬。ワンステップで終わります。それが「花のような女がいる」という比喩文になると、まず「花」と「女」のふたつをイメージしなくてはならない。その後で「花」と「女」という異なるモチーフから類似性を見出し、イメージを重ね合わせる。
 以上、比喩文を読むにはスリーステップの手間が必要だということになります。つまり比喩は理解するのに面倒臭い。なので読み飛ばされるか、さもなくば読者の中で理解されずにイメージがすぐ消えてしまう。比喩はそうした危険がつきまとうのですね。

 また他にも。
 「彼は情熱を持っている」という文章の場合は「彼」が文の主体であり、主旨の焦点[ピント]となります。つまりこの文は主体のありようを表現するものだといえます。
 それが「彼は炎のような情熱を持っている」という文章だと、焦点がズレてしまう。この文だと、情熱の激しさを伝えるのが主旨となってしまう。
 ということは、主体を引き立てたい場合は、比喩はむしろ邪魔にすらなるわけです。だというのに何の考えもなく、どこででも比喩を多用したとしたら。そりゃあ、文章の焦点は自然とブレてしまう。結果、読者にしてみれば何を書いているのか訳分からん文章になってしまうでしょう。
 沢山の言葉を使って、大体のところを狙っているうちは、その比喩が効果を得ることは出来ません。

《悪例》
「赤と緑が調和して実に見事な景色でした」

 ですから、比喩は危険だから多用するな。比喩に頼る前に、描写しろ。具体的な事例をあげて形容したり描写したりしている箇所を見つけたら、それをそのような具体物と結びつけた主体が一体どこの誰なのかを、ひとつひとつ考えてみる。読者の中でどこまでイメージを現像・定着できたか。読者の心を考えながら書け。
 以上、描写における、ごくごく基本であると同時に、比喩のコツになります。

 ちなみに描写講座でもボクは同じようなことをいっていますが。大事なことなので何度でもいわせてもらいました。きちんと描写を修得している人ならば当然でしょうがね。
 ところで文章において擬音語は声喩という一種の比喩法になります。漫画において擬音語は絵の一部になりますが。漫画と違って小説では以上のような理由により、貧弱な効果しか持ちません。
 くれぐれも多用しないよう、注意してくださいね?

 と、ここまでが基本事項次からが応用となります。。




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