比喩講座 その6




■例A:前述した比喩のイメージが後の文章につながる。



《例A》
・本文:「血のように赤い花」→「心臓が脈打っている」
・ここ:「赤い花」→「心臓」
・よそ:「血」→心臓そのもの

 例Aの画像を御覧下さい。まず「血のように赤い花」という比喩文があったとしましょう。この場合における《ここ》とは「赤い花」であり、《よそ》とは「血」ということになります。この「血のように赤い花」という文章の後には「心臓が脈打っている」という、心臓に関する文章があります。
 実は「血のように赤い花」の「血のような」とは、心臓にかかっています。例Aとは、前述した比喩のイメージを後の文章に繋げる技法を使った比喩文なのです。血と心臓で連想・関連づけるよう、読者を誘導している。

 すると後になって心臓についての文を読むと、血のように赤い花を思い出すようになっていますから。結果「花=血=心臓」という、みっつのイメージが重ね合わせることになる。本来は無関係だった心臓と花のイメージすら、血のイメージによって繋がってしまうのです。

 また心臓の文を読むことで、前述した花がなぜ血のように感じたのか。やっと読者は理解できるようになっている。つまり例Aとは心臓によって「血のように赤い花」という比喩のイメージを《定着》させていると考えても良いでしょう。
 これぞ比喩の連鎖法です。



■例B:前述した文章のイメージが後の比喩に伏線となってつながる。




《例B》
・本文:「心臓が脈打っている」→血→「血のように赤い花」
・ここ:「心臓」→「赤い花」
・よそ:心臓そのもの→「血」

 例Aに似ていますが。「血のように赤い花」という文章と、「心臓が脈打っている」という文章の前後が入れ替わっています。
 前述した心臓に関する文により、血のイメージがボンヤリと残る。そして後述する「血のように赤い花」で結実する。比喩文自体を使ってイメージの《定着》を行っているのです。ここで読者はこのための心臓だったと、読者ははじめて理解することになるのです。

 例Bは、前述した文章のイメージが後の比喩に伏線となって繋がる、という技法になります。



■例C:前述した比喩のイメージが後の文章の比喩につながる。



 
《例C》
・本文:「血のように赤い花」→「機械の心臓である歯車」→「生命があるかのような動き」
・ここ:「赤い花」→「歯車」→「動く」
・よそ:「血」→「心臓」→「生命」

 複雑なので、分けて考えましょう。まず例Cには「血のように赤い花」、「機械の心臓である歯車」、「生命があるかのような動き」という、みっつの文章が連鎖している。
 「血のように赤い花」という文章は「機械の心臓である歯車」へ、血が心臓にかかっている。《よそ》と《よそ》だけで連鎖が繋がっているというわけです。
 そして「機械の心臓である歯車」という文章は「生命があるかのような動き」へ、心臓が生命にかかっています。ここでも《よそ》同士の連鎖が起こっているのです。

 つまり「血のように赤い花」から「機械の心臓である歯車」へ。更に「機械の心臓である歯車」から「生命があるかのような動き」へ。全体的に《よそ》だけで比喩が連鎖し、もうひとつの文脈が成立してしまっている。
 もちろん、文章の本題はあくまで《ここ》にあります。ですが、ひとつの文章しか読んでいないはずなのに、ふたつの文章を同時に読んでいるのに等しい効果があるのです。




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