描写 その6

   中心に触れない、ということ




 「描写対象の中心に触れない」、「周囲を描く」、「描写の部品となる言葉を並べる」とは言ったものの、これだけでは分かりづらいかもしれないので。実際にどのような作業を行うのか、参考となる事例を挙げてみよう。
 まず「描写対象の中心に触れない」とは、どうやれば良いのだろうか。

 「神を信じろ」と他人を説得したいとしよう。だが、そのまま「神を信じろ〜っ!」と声を大にして叫び、強制しても、受け入れてもらえるわけがない。受け入れてもらえるような工夫が必要であり、話を聞いてもらえるところから始めなければならない。そこでまず「聖書の教えは素晴らしい」と広めるのだ。その後で「聖書とは神の言葉だから、神を信じるべき」と伝える。すると「聖書の教えは素晴らしいかもしれない」と感じた人の多くは、「神を信じるべきなのかもなあ」と思いやすくなる。
 つまり、「聖書の素晴らしさ」を使って「神を信じろ」という主旨を、暗に伝えたわけだ。

 もうひとつ、例を挙げよう。テレビのニュースでよくある技法だ。「最近の若い者はダメである」と伝えたいとしよう。
 そこで、少年犯罪が最近は増加しているという主張をするのだ。少年犯罪の増加をわかりやすく伝えるため、増加率をグラフで視覚化もしておこう。すると視聴者は、少年犯罪が増えているから、最近の若者はダメである、という結論を抱くようになる。
 実際に少年犯罪は、何十年単位で見ると減っていたとしても、グラフは数年単位でしか見せない。少年犯罪が増えている部分しか見せないのだ。
 こうして「少年犯罪のデータ」を加工し、悪いイメージを作ることで、視聴者は「最近の若い者はダメである」という印象を植え付けられることとなる。データが正しいか間違っているかは問題ではない。ここで重要なのは、印象の有無だからだ。

 というように、中心に触れないことで、印象のみを作り上げる技法自体は、あちこちで見られる。これらも一種の描写技法といって良いだろう。


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