描写 その5

   「ほのめかす」と言う概念


























 描写対象と言葉



 描写のモデル1



 描写のモデル2




 だが実際に、《そのまま》を書くな、《描写》しながら文章を書け、と言われてもそう簡単にできるものではない。
 作文なら学校で教えてくれるだろう。だが大抵の人は、小説の書き方など知らずに生活している。小説作法なんて、普段の生活に役には立たない。だから最初から《描写》ができるような人間なんて、まずいない。
 よって《描写》を身につけるには経験が必要だ。習慣として普段から《描写》しながら文章を書き、目につくものを《描写》するような生活を送らない限り、《描写》を習得することはできない。
 しかし本当は《描写》なんて、そんなに大したものではない。練習のためにも、それなりの「やり方」「コツ」と言うものがある。

 と言うわけでこれから、その《描写》のコツを教えようとしているのだが。その前にひとつ。
 事物・人物・状況・事象など。これからは、描写しようとしている「もの」や「こと」を《描写対象》と呼ぶことにする。
 いちいち「描写したいもの」などと言っていると、どうもまどろっこしい。

 まず常に自分に言い聞かせなければならないのは、「いきなり描写対象を言葉に置き換えることはできない」と言うことだ。
 右の「描写対象と言葉」図を見てほしい。上方の水色の丸が《描写対象》で、下方の歪んだ丸が《言葉》を表している。
 描写対象に同じ形のものはふたつとない。もしかすると探せば、似た形のものはあるかもしれない。
 だが《言葉》とは類似したものの平均値に過ぎない。言葉になってしまった時点で描写対象のかたちは、わかりやすく変えられている。言葉とは、他人と同じようなイメージを共有することで通じるものだ。

 しかし。同じ形の雲は二度とない。「雑草」と言う草はない。「みんな」と言う人はいない。
 だから描写対象と言葉。ふたつのかたちを重ねてみると、はみ出していたり足りなかったり、代用するには適当ではない。
 ごくまれには、全く同じかたちのものも見つかるかもしれないが、そんな幸運なかなかあるものではない。

 「言語化する」と言う行為は、描写対象と同じ形のものを作り出すと言うことだ。ならばひとつの言葉で、描写対象を代用しきることは不可能だと言うことになる。
 ではどうやって、描写対象の「かたち」を表現するのか。実は、描写の基本とは「ほのめかす」ことである。

 次の「描写のモデル1」図を見てほしい。描写対象の周囲に並んでいる、たくさんの赤い丸は「言葉」だ。
 描写対象と同じ形のものを探すことは難しい。語彙数には限界がある。そこで「そのまま」を書かない。描写対象の中心に触れない。周囲を描く。ほのめかす、とはそう言うことだ。
 するとたくさんの言葉の中から、描写対象の形が浮かび上がってくる。

 「描写のモデル2」図を見てほしい。先程の図から、描写対象を取り除いてみた。
 赤い小さな丸が円上に並ぶことで、中央に大きな丸が浮かび上がっているのがわかるだろうか。
 これが「ほのめかす」描写の概念である。

 小さな赤い丸の「言葉」は《あったこと》《事実》を書く。これで読者のイメージは統一される。
 だが単体では意味を持たないものが、ある順番で並ぶことにより、互いにつながり合い、意味を持つことがある。

 例えば《残像効果》と言うものがある。
 「雨が降った」と言う文章の後に「靴が濡れた」と書いたとしよう。すると読者は、靴が濡れたのは雨のせいだと考えるだろう。

 また、映画に《モンタージュ技法》と言うものがある。複数のカットを組み合わせてつなぎ、ひとつの作品にまとめる手法だ。
 銃を撃つ兵士のシーンがあったとしよう。このすぐ前後に、泣き叫ぶ子供や、逃げまどう人々のシーンを配置する。すると受け手は、兵士が民衆を脅したり危害を加えているのだと解釈するだろう。

 《描写》には、ふたつの条件が求められる。
 ひとつは、読者のイマジネーションにゆだねること。もうひとつは、読者の抱くイメージを語り手が操作し、統一すること。
 これでふたつの矛盾した条件が満たされる。


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