視点 その1

   視点とは何か




 「僕は」「私は」「俺は」などの自分自身が主語ではじまる文章を、一人称文と言う。もしもこの一人称で書かれた、

 「俺の顔は青ざめた」

と言う文章があったとしよう。
 さて、この文章にはおかしな点がある。みなさんはわかるだろうか。
 鏡でも目の前にない限り、自分で自分の顔を見ることはできない。だから自分の顔が「青ざめた」かどうかなんて、わかるはずがない。だから、せいぜいが

 「俺は今きっと、青ざめた顔をしているだろう」

程度の文章に留めておいた方が正しくなるだろう。
 このように本来ならありえない文章の状態のことを指して、「視点が狂っている」と呼ばれている。

 視点は基本中の基本であり、小説書きにとって視点の狂いは恥ずべきものであるとされている。
 だが視点を狂わせずに文章を書き続けるのは、実はかなり難しい。プロの小説家でも、ケアレスミスならしょっちゅうだし、油断して大失敗の文章を書いてしまうことも珍しくはない。
 そのくらい視点とは難しいものなのだ。

 「視点は狂ってはならない」のはわかった。だが「視点は狂ってはならない」とお題目を唱えるだけで、なぜ視点が狂ってはならないのか、いまだに誰も明確な説明はできていない。また、どのような状態が視点の狂った状態なのか。例文は作られていても、これも具体的な説明はなされていない。
 だから視点について勉強しようと思う人間は、例文でも熟読・暗記するしかない。たとえ勉強を修めたとしても、書き進める際はどうしてもケース・バイ・ケースになる。原理も分からぬまま、その場その場で判断しながら書き進めなければならない。ミスは避けられない。
 だから視点をマスターするには、よほどの経験と慣れが必要とされる。

 小説技術を学びだした者にとって視点は、必ず行き当たる壁だ。そのため、小説技術を学ぶことは敬遠されている。
 中には小説の書き方なんて勉強したところで、面白い作品なんて書けるわけがない。技術なんて意味はない。と、勉強の面倒臭さを、言い訳にすり替える人間も少なくはない。
 しかしこの理屈は半分は正解だろうが、半分は間違っている。
 技術とはいわば、読者を楽しませる作品を書くための工夫だ。それを放棄すると言うことはつまり、読者を無視しているのに等しい。失礼な行為だ。

 本来の意味での視点とは、小難しい約束事ではない。
 一人称だからこう書いてはならないとか。三人称だからこう書けとか。いやだから、そもそも人称とは何だとか。
 役に立たない知識は忘れた方が良い。

 視点とは、描写と並ぶ、小説独自のテクニックのひとつである。
 視点を無視して小説を書くと言うのは、小説を書くための楽しみを放棄しているに等しい。当講座はこれからその、役立てるための視点についてお教えする。



Next →


Back to Menu