視点 その2

   観点としての視点(1)




 結論から先に言っておく。
 視点を理解するのが難しい理由は、小説技法としての視点は、いくつもの解釈ができる言葉だからだ。

 もちろん本質としては、どの解釈を取ったとしても、同じ意味ではある。ただ同じ「視点」と言う言葉を使っても、場合によっては違う使い方をしなければならない。
 それを知らずに学ぼうとするから、矛盾した知識に混乱させられるのだ。
 だから視点について学ぶには、「そもそも視点とは何なのか」について、から知らなければならない。回り道に思えるかもしれないが、本当はこれが最短の近道だ。

 まず最初にお教えする視点の解釈とは、「観点としての視点」だ。
 ひとつの物事の中には、様々な側面が存在する。その側面のひとつが、どうやって現れるか。
 観点としての視点とは、その見え方。どのようにしてモチーフを認識するのかと言う、受け止め方としての視点のことだ。

 例えば、ここに円柱があったとしよう。
 だが我々は、立体の円柱を、平面の影としてしか認識できないとする。しかも、その影だけを見て、もとの形を想像しなけれればならない。
 すると、横から映る円柱の影は、長方形に見える。上から映る円柱の影は、円に見える。
 だから、横から見える影しか見えない人は、円柱を立方体の箱だと主張するだろう。一方、上から見える影しか見えない人は、円柱をボールだと主張するだろう。

 果たしてふたりの主張は間違っているのだろうか。
 どちらも間違っているとわかっているのなら、最初から主張したりはしない。人は何かを認識する時、得られる情報から判断するしかない。そう考えると、両者の主張は、得られた情報から導きだされた結果としては、妥当で誠実であるとすら言える。
 が、両者ともに正しくもない。

 物事の正しい判断は、たったひとつの側面を見ただけではできない。
 ある物事が持つ、違う側面を同時に見る。そうすることで平面的だった判断が、多面的になる。完全に「正しい判断」を下すのは難しいだろうが、最低でも、間違った判断を下すことは少なくなる。

 このように。
 物事を認識するのに、物事のどの面を見るか。片方からしか見ないか。複数の面から見るにしても、どれとどれを選ぶのか。
 これが「観点としての視点」だ。


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