視点 その12

   自己言及の矛盾(1)




 ものすごく砕けた話をするならば、別に「私は青ざめた」と言う文章のどこが悪いと言うこともできるだろう。
 確かに言わんとすることはわかる。実際、この文章の主語と述語はしっかりしている。だからボクも間違っているとは言わない。ただ正確ではない
 その理由について説明しよう。

 論理学上の話になるが。《クレタ人のパラドクス》。もしくは、《エピメニデスのパラドクス》とか、《嘘つきのパラドクス》と言われる考え方がある。

   「クレタ人は嘘つきだ」と、クレタ人が言った。

 と言う一文を読んでいただけただろうか。
 果たして、クレタ人は正直なのか、それとも嘘つきなのか。この一文は正しいのか、間違っているのか。みなさんはわかるだろうか。

 もしこの例文が「本当」で「正しい」としよう。
 クレタ人は本当のことを言っている。つまり「クレタ人は嘘つきだ」は正しい。だがそうなると同時に、クレタ人の言うことが嘘でなければならなくなる。
 すると、ここに矛盾が生じる。正直者は自分のことを「嘘つきだ」と言ってはならない。

 ならば次は、この例文が「間違っている」とした場合だ。
 クレタ人は嘘をついている。すると「クレタ人は嘘つきだ」と言う発言は嘘だと言うことになる。すると、やはり矛盾が生じる。
 嘘つきが自分のことを「嘘つきだ」と言ったならどうなるか。嘘つきだと言うのが「嘘」だとしたら、クレタ人は「正直者」だと言うことになる。しかし、そもそもクレタ人が正直者だったとすれば、最初から発言が嘘によって覆ることもなくなる。

 一方を立てれば、一方が立たず。この文章は、まさに《矛盾》している。

 結論として言えるのは、『「クレタ人は嘘つきだ」と、クレタ人が言った』と言う文章は、正しくもなければ間違いでもない。またそれを論証するすべもない。
 ただ矛盾していて、文章として正確ではない、と言うだけだ。

 ではなぜこうした矛盾が起こるのか。
 本当は論理学上の様々な演算が必要なのだが。ごく簡単に言えば、文章の内容が「自分について語っている」からである、と言うことができる。
 これを《自己言及》と言う。


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