視点 その54

     パースペクティブとカメラワーク(2)




 なぜ描写が、単なる列挙になってしまうのか。それは焦点、つまり何を中心に描くかを忘れてしまうからだ。焦点とは、テーマ性であり、主旨と言い換えることもできる。
 作者自身が文章の主旨を見失っているのだ。これでは読者もイメージを結実できるわけがない。

 だが実は、カメラワークとは一定ではない。テーマとモチーフに沿った並べ方がある。ならばその順番、つまりカメラワークを決定づける基準がどこにあるのか。
 それがパースペクティブだ。カメラワークを理解するには、パースペクティブの概念を知らなければならない。だから順番なんて本来ならば基本中の基本なのに、高度な手法となってしまうのだ。

 カメラワークは基本的に、「遠くから近く」か、もしくは「近くから遠く」のどちらか、ということになる。
 「遠く→近く→再び遠く」というような、三段階目は止めた方が良い。カメラワークの持つ主旨がピンぼけになってしまう。だから「遠くから近く」か「近くから遠く」の二段階までで、カメラの移動は抑えておこう。

 またカメラワークの中でパースペクティブは変わっても、描いている主旨・モチーフまで変えてはならない。これは要注意点だ。
 パースペクティブが変わっても、モチーフを変えないことで、文章としてのまとまりが出てくるはずだ。

《例》
「美人だ。特に目が印象的だ。長い睫毛が瞳の輝きを強調しているように見える」
「長い睫毛は瞳の輝きを強調しているように見えた。目の印象的な女性だ。美しい」

 つまりカメラワークといっても、どう視線を動かすかは問題ではない。むしろ、いかにカメラを動かさないかが重要になってくる。
 カメラを動かさない、というと面白みがなくなるように思うかもしれないが。逆だ。動かさないことにより、動と静のメリハリがつくのである。
 そしてカメラを動かさないとは、文章の場合は焦点子を動かさない、ということになる。

 具体的に説明すると、これが一人称ならば。実は一人称の主体は、あまり自身で動かず、観察者として機能することが多い。というのも視点の持ち主が動き回ると、カメラが動き回り、文としてうるさくなるからだ。
 なので一人称は自分が動かない中で、目の前で他人が動いているのを観察することになる。

 対して三人称では、同じワンシーンの中ではカメラ、つまり焦点子の位置を固定し、動かさないことにする。つまりワンシーンの中で《場の視点》を動かしてはならない、ということだ。
 動くのはそのシーンの中にいる、人や物事ということになる。


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