視点 その59

   小説描写における心的遠近法(1)




 また距離というのは空間的な意味だけでなく、「心の距離」といった意味合いも持っている。

 さて、ちょっと芸術に関する蘊蓄を少しだけ披露させてもらおう。
 西洋絵画というのは伝統的に、客観性の追求を行ってきた。特にルネッサンスからそうした特徴は強くなっている。その代表が、一点透視図法による写実といえるだろう。
 神の創り給いし世界の似姿を、芸術によって再現しようという試みなわけだ。そこから後の自然科学が芽生えたりするわけだ。

 対して日本の伝統的な絵画は、多数視点法が採用されている。ひとつの画を多数の目で描くことにより、様々な遠近感を生んでいるのだ。
 特に絵巻物において、この多数視点は顕著に使われる。例えば寺院の奥にいる尼僧が、手前にいる群衆より大きく描かれるとしよう。

 これは西洋絵画としては狂ったパースペクティブといえるだろう。なぜ昔の日本人はそんな絵画を描いたのか。別に日本人が、芸術的に未成熟だったから、というわけではない。むしろ逆だ。
 さっきの尼僧の例ならば。仏様に出会い、お告げを受けている最中だったりする。だから絵巻の物語として、尼僧は重要な立ち位置になる。また手前にいる群衆からも注目される。
 そう。注目される。注目されるとフォーカスが絞られる。だから実際の空間的距離と関係なく、パースペクティブが近くなるのだ。

 このように日本画において多用される、自在に変化する遠近。一点に固定されない、多くの視点が同時に存在するパースペクティブ。
 これを《心的遠近法》という。そして小説でも、もちろん心的遠近法は存在する。


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