視点 その6

   視点の決定




 主人公が変わるとストーリーの主旨(テーマ)が変わるのは、語り手の《立場》が変わり、同時にモチーフのとらえ方《観点》も変わるからだ。
 誰か登場人物を主人公にすると言うことは、その登場人物の目を通して物語を記述することになる。つまり登場人物が、語り手になると言うことだ。

 モチーフを「誰(語り手)」が「どのように」把握し描写するのか。
 これが視点である。「誰」は《立場としての視点》のことであり、「どのように」とは《観点としての視点》のことである。

 「誰が(立場)」と「どのように(観点)」は同時に決まる。《立場》の変化により《観点》も変わり、同一のモチーフでも違った描かれ方をされることになる。同じモチーフでも、違う描かれ方をされたら、別のモチーフとなるのも同然だ。
 ただし、両者は同時に決まると言うだけのものであり、全く同じものではない。それを「ものの捉え方」と「語り手の立場」を同じものとして視点を語ろうとするから、混乱するのだ。

 そしてここからが重要なのだが。
 《立場》を変えると言うことは、《観点》を変えると言うことでもある。そして、《観点》を変えると言うことは、語り手の読者に対するテーマの変化をも意味する。
 つまり、同一のモチーフに対し視点を操作することで、語り手である作者が、読者に与える印象を操作することができる。
 これが視点が小説独自の最高技術たるゆえんである。

 例えば「時間を厳守する男」に好意的な印象を持ってもらいたいのなら、好意的な語り手を通して物語を記述すれば良い。また逆に、悪い印象を持ってもらいたいのなら、悪意を持った語り手を通して物語を記述すれば良い。
 語り手が抱いている印象の差によって、描き方は変わって来る。描き方が変わると言うことは、読者の抱くであろう印象も変わると言うことだ。
 極端な例かもしれない。本当はそう簡単なものでもない。だが、まずはこのように考えると理解しやすいのではないだろうか。

 だから「男はイヤな奴だった」と文章であからさまに書いてしまう、などと言うのは、小説技術としてはまだ下策の方だ。描写の第一目的は、モチーフをイメージとして再現することである。作者の気持ちを代弁することではない。
 作品に作者自身の意思を込めたいのなら、視点にこそ気持ちを込める。視点の決定、語り手の設定こそが、物語に対して作者ができ得る唯一の、そして最高の介入なのである。


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