視点 その9

   視点の分類(2)




 これで視点の種類については、あらかた紹介したはずだ。
 だが実は、以上の説明だけで視点を使いこなすことは不可能に近い。そもそも憶えきれない。
 これらは、一人称と三人称を細分化させただけに過ぎない。そして人称だけでは、語り手がどこにいるのか、しかわからない。
 つまり人称から知ることができるのは「立場としての視点」のみである。「観点としての視点」まではわからない。
 よって問題は、「どう語るか」と言う《観点》を含めての視点である。

 と言うことは、語り手のみで視点を説明することはできない。《観点》とは、語り手が観察する、モチーフがあってこそ成立する。
 難しい言い方をするのならば、「《観点》とは語り手とモチーフとの関係性そのものである」とも言えるだろう。

 だから実は、視点や人称なんて、分類しても仕方がない。
 視点は狂うものだ。と言うことは、視点とはどこかに固定しているものではない。フラフラと移動するものだ。
 我々が知ることができるのは、どこから、どこの間に視点がありうるか。語り手とモチーフとの関係性。語り手が、どこからどのようにモチーフを観察しているのか。

 つまり重要視すべきは、視点の《位置》である。

 もしかするとこれは、天動説と地動説に近いかもしれない。
 人称で問題とされるのは、語り手の主体性のみである。言ってみれば、地球(=語り手)が宇宙の中心に存在し、天体(=モチーフ)の方が動いているとする、天動説にも似ている。
 だが視点はそうではない。地動説だ。
 語り手がフラフラと動けば、モチーフの位置も一定しない。絶対的な基準がどこにも存在しない。知り得るのは、相手を観察することで、自分はここらへんにいるのだろうと、推測するだけである。

 ……そりゃあ、視点なんて狂っても当然なのだ。


← Return

Next →


Back to Menu