ストーリー その18

   最後の注意




 以上で物語構成技術の「初歩」の講義を終わります。

 もともと構成法なんてものは、過去の作品をいくつかの要素に還元した結果に過ぎない。「こんなパターンがあった」だから「これさえ出来れば大丈夫」と言うだけのものだ。
 だがそれでは過去をなぞっているだけで、未来に対して、つまりは流行に追いつき追い越すことは出来ない。

 例えば天気にしてみたところで、「晴れ」「曇り」「雨」などと言う天気は存在しない。
 世界に存在するあらゆる事象は、境界線が曖昧なまま存在している。それを人は、世界に境界線を引くことで、世界を理解可能なものにしようとしている。
 だから本来、何かを区別にようとする行為に意味などないのだ。

 それでは構成法などの《技術》を学ぶのは無断なのか。天才の閃きの前に、凡才の努力は無駄なのか。
 ボクは違うと思いたい。

 「晴れ」「曇り」「雨」などと言う天気などは存在しないかもしれない。
 ただ、どのような条件下で、どのような性質の雲が、どちらへ流れ、どのくらい増えるのか。と言うことは予想できる。
 その結果としての天気を「晴れ」だと思うのも「曇り」だと判断するのも、後は観測者の自由だ。

 それと同じだ。
 この講義は、と言うよりは《技術》などと言うものは、せいぜいが「失敗しない」とか「外さない」と言う程度にしか役に立たない。
 本当の物語構成とは、もっと複雑なものだ。予測可能なものが流行したことなど、あったためしがない。
 だが未来に流行するものを予測するために、過去の作品を検証する努力は無駄ではないだろう。
 とりあえずは、過去と現在のことくらいは知っておかないと、未来に何かが流行したとしても、本当にその流行が「ホンモノ」であるかどうかすら判断出来ない。
 だから、あらゆる形態変化を予測するために、物語の基本構造を知ることは無駄ではない。過去と現状を知るために、他人の作品を読み進めるための助けとはなるだろう。

 結局ボクが何を言いたかったのかと言うと、つまり、この講義で教えたことなんて、所詮はひとつの《技術》に過ぎない。あまり真に受けないようにしてほしい、と言うことです。


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