ストーリー その8

  情報の並べ方
  《ハリウッドのタイムテーブル》その3




 こちらの図を参考にしながら読み進めてほしい。

 前回からの続きになるが、最初から結論が提起されている論文を《ハリウッドのタイムテーブル》に照らし合わせながら書こうとした場合、どうなるのか。実際にやってみよう。

 「最初から結論が提起されている論文」の場合は、「最初から結論を提示する」と言う行為が《ポイントT》と見做される。《ポイントT》つまりは語り手の受け手に対する問題提示だ。
 語り手は、「なぜこの結論が(最初から)提示されたのか」と言う《問題》を受け手に対して発信したことになる。

 すると受け手には、「なぜこのような結論が出たのだろうか」と言う、未知の状態が生じる。
 つまり受け手はこの作品を、どのように「最初から提示された結論」が論証されてゆくのかと言う、プロセスに対して好奇心と期待感を膨らませながら読み進めることになるのだ。
 と言うことは、この作品の面白さは、「結論の出し方」もしくは「出され方」と言うことになる。
 すると自動的に、《ミッドポイント》は、「そもそも、この結論の出た問いがなぜ出されたのか」。《ポイントU》は、「ゆえにこうして結論の正しさが証明されたのだ」となるだろう。

 また、受け手はその《面白さ》への期待感でもって作品を読み進めることになる。だから、語り手はその《面白さ》を伝えるために、この作品を書かなければならない。悪く言うと、そうやって受け手を「煽る」べきなのだ。
 または、このような言い方をしても良いかもしれない。この作品で語り手が受け手に求められるのは、「なぜ最初から結論を出したのか」と言う「語り手の意図そのもの」である、と。

 以上のように、なぜ語り手はこのような話題を、このような形式で語ることで、受け手にどのような面白さを持ってもらおうとしているのか。と言う、語り手の意図。これを《テーマ》と呼ぶ。

 《テーマ》と言うとすぐに、作者の人間に対する思想だとか、込めた思いだとか、小難しい方向へ考えがちだ。だが本当に実用としての《テーマ》は、思想や哲学とは関係ない「面白がらせ方」「読者が面白いと思う(だろう)点」こそが、本当の《テーマ》なのだ。
 逆にも言える。技術や形式や、受け手を無視した、語り手の身勝手な思い込みは《テーマ》ではない、と。

 理解していただけただろうか。
 このように、「伝えたいこと」と、技術や形式や構成などの《表現方法》は、密接につながっていなければならない。両者はイコールの存在、同じコインの表と裏のような存在なのだ。
 口で言うと簡単だが、実際にこうやって形象化するとなると、難しい。だがこれは小説技術における、《原則》である。
 《原則》は観念になってはいけない。《原則》の本来の姿とは、現実レベルの話として役立てるものなのだ。


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