「逃避した表現」に関する注意 その3

     比喩の逃避した使われ方




《悪例》
「赤と青が混じったような、実に見事な景色でした」

 この文例。一読では、マトモそうに思えます。ですが実際にこの文を読んで、あなたは何かのイメージが思い浮かんで来たでしょうか。何の光景も想像できなかったはずです。

 実はこの文例。
 比喩の悪例として、これほどまでに最適なものは存在しないのではないか。と言うくらいに、ダメダメな比喩の使い方なのです。

 では実際に、この文例にツッコミを入れさせてもらいますと。
 赤と青が混じった「ような」色って何やねん。赤と青が混じっているのなら、それって紫になるだろう。ならば最初から紫と言え。それとも赤と青とが混じり合わずに、原色のままで残っているのなら。赤か青か、はっきり言ってくれ。
 ……と言うように。ツッコミどころ満載です。

 結局、この文例にある「ような」を知っているのは作者だけなのですね。
 作者としては、何か脳内にある素晴らしいイメージを伝えたいのだろう。そのこと「だけ」は、読んでいても何となく分かる。
 しかしそのイメージを言葉に置き換える方法が思いつかない。そこで、「読者の想像にお任せしちゃいます」なんて言い訳して、イメージを言語化する努力を怠っている。
 しかし、作者にも何を書いているのか不明なのに、読者のイメージが膨らむわけがない。結果、読んでいて何もイメージできない文章になってしまうのです。

 どんな複雑なイメージでも本来なら、描写技法を使えばどうにか言語化できてしまうものです。ですが「描写技法なんて知らない」と言う方だと、脳内イメージを言葉に置き換える手段が限られてしまいます。
 そうして最後には、脳内イメージを投げ捨てるしか方法が残されていない、と言うことになってしまうのです。

 このような、イメージを放り投げたような文章を書かないようにするためにはどうすれば良いか。描写技法を使う以外にも、幾つかの解決策が伝えられています。

 まずは解決策その1。
 曖昧な言い方をするから、読者が混乱してしまうのです。ですから、あえて断定してやる。
 ぼやけた言い方をされるくらいならば、勝手に内容を「決めつけ」られていた方が、読んでいる側にとってはラクなものです。
 伝えたい内容が多少、変わってしまうくらい。気にしない、気にしない。

 次に解決策その2。
 伝えたいデータに、順番を付けて、整理してやりましょう。上記の悪例ならば、「赤があって、青がある」と言うように、伝えたいデータを明確にしてやる。そして、そのデータを並べてやる。
 そうすれば後から、よりベターな「言い方」も見つかってきます。

《訂正例》
「赤と青のマーブル模様」

 しかしデータをあまりにも、明確化・断定化してしまうと、脳内イメージが読者へ正確に伝えられない……かもしれない。と言う問題も起こってきます。
 本当はデータが整理できていない、明確にイメージできていないからこそ、曖昧な表現になってしまうのですが。それでもイマジネーションを削りたくないと言う人に、方策その3です。
 絶対に言語化が不可能なイメージは、もうあえて、最初から書かないようにしてください。どんな優れた書き手でも、具体的なモチーフしか、言葉には出来ないものです。
 最初から失敗するのが自分で分かっているのなら、危険を避けて通るのも、ひとつの勇気のはずです。

 本当は、自分が伝えたいイメージがあったとしても。感動をそのまま読者に伝えられないのなら、書き手の方が少し我慢する。伝えたいイメージを改竄してでも、言語化できるモチーフを用意する。満点が無茶なら、合格点だけでも全て着実に確保しておく。
 そのような、変わり身の早さも、書き手には必要な素養だと思いますよ。発想の転換です。


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