「逃避した表現」に関する注意 その4

     「〜〜くらい」への逃避



 当講座の第一回目において《逃避した表現》の文例として「〜〜くらい」と言うものを挙げさせてもらいました。しかしこの例に関しては、反論をお持ちの方もいらっしゃると思います。
 「くらい」と言う、普段から常用するような語すら使えないのなら、日本語で文章が書けなくなるのではないか。そこまで行くと過剰な、言葉狩りになってしまわないか。
 確かにその通りです。

 しかし言い訳をさせてもらうのなら。「くらい」とは、アウトになりやすい語であると言うだけで。全ての「くらい」がアウトと言うわけではありません。
 では、どのような「くらい」の使い方をしてはいけないのか。実際の例を読んでみましょう。

《悪例 : A》
「広場には木が三本くらい生えている」

 では皆さん。以上の例文にツッコミを入れてみましょう。
 「三本くらい」て何やねん。三本なら三本と、はっきり言え。
 ……と言うことになってしまいますね。

 「くらい」とは、とても便利な言葉です。「くらい」とさえ書いてしまえば、作者はもう後、具体的な光景を描く必要がなくなります。
 ですが、「描く必要がなくなった」と思い込んでいるのは作者だけ。「くらい」と言われても、読者には知ったことではありません。

 基本的に描写技法を使う際は、具体例を挙げる必要があります。しかし「くらい」という語は、抽象的な意味しか持っていません。読んでいる方としては描写だから、具体的なイメージを持ちたい。しかし文意は抽象的で、曖昧なままになっている。言葉が具体と抽象を行き来して、焦点が定まらない。重要なのか、どうでも良い箇所なのか。一読で分かりづらい。そのため、便利だからといって安易に描写で使うと、読者がイメージを脳内で結実させる邪魔になってしまうのです。
 何らかの効果を狙ってのことではないのなら、描写で「くらい」を使うのは逆効果となることでしょう。

 ならば、どうすれば良いのか。この解決策、実は前回の折にお教えしましたが。
 曖昧な言い方をするから、読者が混乱してしまうのです。ですから、あえて断定してやる。ぼやけた言い方をされるくらいならば、勝手に内容を「決めつけ」られていた方が、読んでいる側にとってはラクなものです。伝えたい内容が多少、変わってしまうくらい。気にしない、気にしない。
 例えば今回ならあえて、木の本数を断定してやると言うのはどうでしょう。本当に三本あったかどうか、なんて関係ありません。曖昧な表現を、明確化し、言い切ってやりましょう。

《訂正例 : A−1》
「広場の中心には三本の木が生えている」

 それ以前の問題として、木の正確に本数を描く必要なんてあったのか、と言う疑問も出てきます。
 確かに、読者にしてみれば物語とは関係ない木が何本あろうと、どうでも良い話です。そして、どうでも良い情報は、描写の際に省略してやる。

《訂正例 : A−2》
・ 「広場の中心には何本か木が生えている」
・ 「広場の中心には木が生えている」
・ 「木が生えた広場の中心には〜〜」

 また別の例を見てみましょう。次の例を見てください。

《悪例 : B》
「158本くらいの街路樹が生えている」

 これも「くらい」なんて情報は必要ありませんし。それ以前の問題として、どこから「158」と言う数が出てきたのか、と言う疑問も生じます。
 おかげで読んでいて、どうにも気持ちが悪い。

 ここで大事なのは細部ではない。全体の大まかなイメージさえ伝えられれば、不要な情報は省略しても構わない場面です。
 上の例文の場合ならば。必要なのは「木が連続して、たくさん植えられているイメージ」と言うことになります。

《訂正例 : B》
・ 「道路の端には、街路樹が等間隔に植えられていた。街路樹のある道路はずっと先まで続いている」
・ 「自動車に乗る。発車する。窓の向こうで、街路樹が次々と後方へと流れてゆく」

 と以上。
 ここまでは日本語として作文レベルの話に過ぎません。次回は小説として「逃避した表現」をしないようにするための話をさせてもらいます。


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