描写 その12 「言い当てる」ための描写(1) |
|
以上が描写のやり方だ。しかし注意しなければならない。描写にはやりがちなミスがある。 やろうと思えば、描写は限りなく続けることができる。だが描写もやりすぎると、沢山の情報を小出しにして結局、読者に何も伝わらないことになる。 例えば「美しい景色」の描写を行うとしよう。 描写のための約束事は基本的にふたつだ。ひとつは「美しい」と《そのまま》を書かない。もうひとつは《事実》もしくは《あるもの》を書く。 それならばとにかく、見える範囲の《もの》をありったけ書けば良いのだろうか。だが実際にこの通りに書いてみると、 「山がある、川がある、雲がある」 だからどうした、と言う事態になる。 いくら多くの情報を出したとしても、それぞれが単発で互いにつながり合っていなければ、何もイメージできない。 描写に使われる全ての言葉と文章は、例えばこの場合であれば、「美しい雄大な大自然」を表現するためのものでなくてはならない。 描写に使われる言葉が、散漫になって何もイメージできない。この理由を「複数のカメラワークが混乱しているため」とする小説作法の本もある。 「カメラワーク」とは映画などを撮影する時の、カメラの位置と操作方法と言う意味だ。小説でなら《視点の持ち主》。もしくは《人称》と言い換えることもできるだろう。 《視点》に関しては別の機会で説明するとして。 カメラがあっちこっちを、とりとめもなく見る。だから散漫になる。これを「複数のカメラワークの混乱」のためだと言っているのだ。 この説明はおおむね間違いではない。しかしまだ充分ではない。なぜなら、カメラワークの概念は小説における「描写と視点」の概念を複雑にするだけだ。小説における「描写と視点」の概念を、カメラワークだけで全て説明することは難しい。 だから余談になるが、カメラワークの概念は「ついで」に憶える程度で良い。 ではどのような場合に描写が散漫になるのか。 視点も関係ないわけではないのだが。描写としての観点のみで説明すると、焦点が合っていないからだと言うことになる。 |