描写 その7

   中心に触れないで描き出す(1)




 さて今度は、描写を使っての表現とは、どのようにして行うかということになるが。文章を使っての描写ということを考える前に、絵で描くことを考えてほしい。その方が例として分かりやすくなるはずだ。

 あなたは、ハンサムな男性を描きたいとしよう。だが絵では、実際にその絵を見た人が「ああ、この絵に描かれた人はハンサムだなあ」と感じてくれない限り、ハンサムにはならない。ならば、どうやって絵でハンサムを描くのか?

 まずは描き手の中で、ハンサムとはどのようなものなのか? モチーフの人物は、どうハンサムなのか? 自問自答することから始まる。そうやってハンサムな条件、ハンサムな要素を絵に盛り込むことで、その描き手にとっての「ハンサムな人の絵」が完成する。……ちゃんと伝わるかどうかは、別としてね。
 この、伝えたいことの条件・要素こそが、小説描写における《部品となる言葉》ということになる。

 絵では描かれたモノのビジュアルで、「ハンサムである」という印象が決定する。ならば小説ではどうか。小説における印象は、文章の意味によって決定する。
 というわけで、文章での描写をやってみるにあたり、悪例から挙げてみよう。

  《実例》「私はハンサムだ」

 我ながら……何たるツッコミどころ満載の酷い文章だ(笑)。
 今のままでは、あまりにも「中心に触れ過ぎ」ている。《説明》になっている。「ハンサムだ」と情報で知ることはできても、印象として感じることはできない。ゆえに小説として感動することはできない。
 ならばここから、どう文章でハンサムを描くのか。ハンサムという印象を作るのか。小説描写の出番である。


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