【ポストモダン/ぽすともだん】その2 |
神や歴史や民族や伝統など、かつて「大きな物語」は人々を守ってくれた。悩みや迷いがあれば、自分が信じる「大きな物語」に従っていれば、最低でも間違えることだけはなかった。 もちろんその時の「大きな物語」に従うことのできない、少数派の人々はいつでも存在した。全体からすると少数派の人々のことを「マイノリティ」と言う。多数派は「マジョリティ」と言う。 マイノリティは、ずっと「大きな物語」に苦しめられていた。「大きな物語」は自身に従わない、他の物語を排除しようとする。正しいか間違っているかなんて関係ない。「大きな物語」イコール「正しさ」なのだ。「大きな物語」はいつでもマジョリティの所有物だった。 そこへポストモダンが登場した。ポストモダンは「大きな物語」の終焉を論じる。ならば現在では「大きな物語」に苦しめられてきたマイノリティは、解放されたのだろうか。 そんなことはない。実は今でもマイノリティは苦しみ続けている。 ポストモダンとは、新しい最先端の思想だ。 全ての人がポストモダンの中にいるわけではない。全ての人が「大きな物語」がなくなった、なんて信じているわけではない。絶対の「大きな物語」が今も存在していると信じている人の方が、大半だ。 特に法律などの社会システムは「大きな物語」の存在を前提として成り立っている。いつでも社会システムの整備は、時代を後追いするものだ。だから今でも、社会システムは「大きな物語」のために機能している。 しかしポストモダンは確実に浸透しつつある。 「大きな物語」は個人レベルから、確実に崩壊をはじめている。「大きな物語」に守られていたかつてのマジョリティは、誰にも守られないようになった。 学歴社会が崩壊して、良い大学を出ても、良い会社に就職できるとは限らなくなってきた。会社のために何十年も身を粉にして働いていたとしても、経費削減の名目で、いとも簡単にリストラされるようになった。 現代の日本で自殺者が増えているのは、失業者が増えたからではない。「大きな物語」とは、どのような努力をすれば幸福になれるかと言う、指針でもあった。自分の従うべき「大きな物語」を失い、どうやれば幸福になれるのか、そもそも幸福とは何なのか、わからなくなったから人生に絶望し、自殺するのだ。 では本当に「大きな物語」はなくなったのか。 いや、今でも「大きな物語」は残っている。かつての「大きな物語」は、無数に存在する「小さな物語」のひとつとなった。しかも勢力が衰えたわけではない。 現代とは、無数の「小さな物語」が無数に点在する、いわば群雄割拠の時代だ。先程ボクは「ひとつの物語は、都合の悪い他の物語を排除しようとする」と言った。かつての「大きな物語」は、これからも未来永劫「大きな物語」であるために、他の「小さな物語」を圧殺しはじめた。 しかも最悪なのはそれだけではない。「大きな物語」の本来の目的とは、人々の庇護であった。それが「小さな物語」のひとつとなった途端、人々の庇護をやめ、自分自身の存続のためにしか機能しなくなった。 「大きな物語」の存在目的は、人々の庇護ではなく、自己の存続となった。 結果かつての「大きな物語」は、従来の努力と苦労を人々に強いるだけで、その代償としての幸福を与えないようになった。 会社に忠誠を誓っても報われるとは限らないが、かと言って忠実でない者は真っ先にリストラの対象となる。学歴社会は崩壊したはずだが、お受験ビジネスが衰える兆しは見えない。 しかも幸福が与えられない理由と言うのが「ポストモダンで大きな物語は絶対ではないから」だと、「大きな物語」に属した人間はうそぶく。 ふざけんな。 結局は「大きな物語」が生む利益を失いたくない一握りの人間が、時代後れの社会システムを利用して、弱者の生き血を啜っているだけではないか。片手で個人の自由と責任と言う「ポストモダン」の旗を言い訳に掲げながら、もう一方の手で「大きな物語」として絶対の暴君を振る舞っているだけではないか。 その「ポストモダン」が真実だと言うのなら、後ろ手で隠した札束を見せてみろと言うのだ。 「大きな物語」が完全に崩壊しているのなら問題はなかった。でも今はやはり過渡期なのだ。 かつて「大きな物語」が人々を支配していた時代は例えば、金持ちでいられるのは神様のおかげなのだから、貧しい人には施しを与えなければならない、と言うような考え方があった。それが当たり前だった。「大きな物語」の時代とは、「みんな」に優しい時代だった。 一方「ポストモダン」の到来は同時に、マイノリティに「優しい」時代の到来だと信じられていた。これで誰にとっても優しくなれる時代がやってくると思っていた。 だが現実は、誰にも平等に残酷な時代の到来でしかなかった。 生き残ることしか考えられないような「大きな物語」なんて、さっさと消滅すれば良いのだ。どうせ時計は逆回りには動かせない。「大きな物語」が失われて行くのは、仕方のないことだ。 これから人はみな、ひとりひとりが自分だけの「小さな物語」を、自分だけの力で見つけなければならない。 それならせめて「大きな物語」は、人々が自分の「小さな物語」を獲得しようとする邪魔だけはしないでいてほしいものだ。 |
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