描写 その15

   イメージの固着化




 以上までが《描写》に関する説明である。経験は必要となるだろうが、これで誰でもリアリティのある小説文が書けるようになるはずだ。話の流れからすると。
 でも実はそんなことはない。
 《描写》も所詮は《技術》のひとつに過ぎない。便利な場合もあり、応用もできる、と言うだけだ。汎用性もなければ、万能でもない。

 実際に書いてみればわかるはずだ。
 描写ばかりを意識して小説を書いていると、自分が何を書いているのか、すぐにわからなくなる。描写は冗長になりやすい。だから自分がいま何を書いているのか、常に念頭に置いていなければならない。これは確かに今までの『「言い当てる」ための描写』でさんざん注意してきた。
 だから、書いている方は何とか必死にイメージを維持しながら文章を書くことができたとしよう。すると今度は、読者の方でイメージの焦点が合わなくなる。
 描写が続くとイメージの焦点が合わなくなるのは、語り手だけではない。読者の方も、描写の長く続いた文章を読んでいると、イメージの焦点が合わなくなるのだ。

 ならばどう注意すれば良いのだ、と文句のひとつも言いたくなるだろう。
 でも仕方がない。描写が続くと最終的に、語り手か読者どちらかの、イメージの「焦点が合わなくなる」。もう、これは避けられない。

 解決方法はふたつある。
 ひとつは、超人的な描写と文章能力で何とか乗り越える。
 これは、まぁ、不可能とは断言しない。可能な人間もごくまれには存在するだろう。だが苦労の割には、報酬が割に合わない。そんな超人技を日常的に披露しても、寿命を削るだけだ。もっと簡単で、誰にでも可能な方法がある。

 そこでもうひとつの方法だ。
 描写だけで全ての状況を補うことはできない。ならばどうするか。答えは簡単だ。描写をしなければ良い。描写にも欠点がある。だから今度は描写に頼りすぎない。他の方法で描写を補完する。
 ではその方法とは何か。実はもうすでにみなさんに教えている。

 その答えとは、描写と双璧をなすもうひとつの文章技法《説明》である。

 簡単だ。描写では禁じられていたが、今度こそ《そのまま》を書けば良いのである。《説明》だけで《描写》を知らないから、イメージが鮮明に浮かび上がってくれない。かと言って、今度は逆に《描写》だけでも弊害が起こる。
 描写とは、イメージを「浮かび上がらせる」手法である。《描写》により浮かび上がったイメージは、曖昧なまま「浮かんだ」状態でいる。多少なら《描写》によるイメージも制御できるだろう。だが過剰な量となると、イメージが制御できなくなる。

 《説明》により、浮かび上がったイメージを定着・固定させる作業が必要なのだ。


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