描写 その17

   具体と抽象(2)




 ところで、具体と抽象について、ここまでの説明で気付かないだろうか。

  「具体」 と 「抽象」
  「説明」 と 「描写」
  「そのもの」 と 「ほのめかす」
  「事実」 と 「印象」
  「もの」 と 「意見」

と言うように、それぞれが当てはまる。

 確かに、具体と抽象は対比される概念ではある。だが別物ではない。両者の間には限りなく広い中間層が横たわっている。ただ描写対象によって、「もう少し具体的にしよう」とか、「抽象的にした方が良いかも」とか、調整するものなのだ。

 大切なのは、《具体》と《抽象》を常に交互させ、両者の間で思考を行き来させることである。
 例えば、抽象的なアイデアを、具体的に様々な場面や《モノ》に演繹させる。また逆に、具体的な事物や現象を表現するのに、抽象的なイメージに帰納させる。
 そうやって、これから表現しようとする描写対象にもっとも適した、情報の提示方法を選択する。《説明》も《描写》もその表現方法の《幅》に過ぎない。

 例えば、思い出してほしい。
 《描写》とは「ほのめかす」ことである。そして「ほのめかす」とは、一個の描写対象を小さく分解して、いくつかの《言葉》・《モノ》に置き換えることであった。
 だが、《描写》では描写対象が小さく分解されて、ただでさえ《抽象》的な状態になっている。これがもし《モノ》に置き換えずに、印象や意見に置き換えたとしたらどうなるか。抽象に抽象が塗り重ねられて、イメージが曖昧になりすぎてしまう。
 《抽象》の利点は、共通部分を抜き出してまとめ上げることである。これがもし「小さな印象」を重ねただけであれば、何も浮かび上がらない。

 だからボクは「ほのめかす」描写での解説において、《モノ》や《事実》を書くように言ったはずである。
 《具体》的な《モノ》や《事実》を書くことにより、一文一文は《説明》となり、イメージさせるものが明確になる。だが、それらが集まった時に《抽象》的な《描写》として大きなイメージが浮かび上がる。
 《具体》により《抽象》を喚起させているのだ。

 これが《具体》と《抽象》を行き来させる、と言うことである。


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