視点 その16

   心理描写における主客(3)




 参考までに、他人の心理描写で主客がどう表出されるか、ボクなりに段階に分けてみた。

【例文A】主観での心理描写 : 彼女は美しいと僕は思った。
【例文B】客観での心理描写(1) : 彼は彼女が美しく見える。
【例文C】客観での心理描写(2) : 彼に彼女は美しく見えた。
【例文D】表層的な心理描写 : 彼は彼女に見とれているようだった。

 Aが最も主観に近く、AよりBの方が、BよりCが、CよりDと、どんどん客観的になっている。どう違うか、理解いただけるだろうか。
 もう、ここまで行ってしまうと、論理的に説明しづらくなる。たぶん、国語の文法学者でもないと、この差を《技術》としてお教えすることはできないだろう。今のボクもまだ感覚としてしか、差のつけ方を身につけていない。
 後はすまないが、各人で努力してほしい。

 話を戻そう。
 だからつまり、《登場人物外視点》での心理描写でも上記例文のどれかのランクに固定していれば、読者も混乱はしないだろう。
 例えば、《登場人物外特定視点》で、焦点子にのみ「主観での心理描写」を行う。その代わりに他の登場人物の主観は介在させない。もしも他の登場人物の心理描写を行う時は「表層での心理描写」となる……とか。
 また例えば、《登場人物外不特定視点》つまりは「神の視点」の場合。全ての登場人物に対し、「客観での心理描写」まで許してしまったり。もしくは「表層的な心理描写」のみに留めておく……とか。
 焦点子の設定により、いろいろな方法が考えられるはずである。
 ただし「表層的な心理描写」はどの視点の位置でも許される場合が多い。主観の介在が少ないからだ。視点を意識するのが面倒になった箇所があったなら、この表現に抑えておくと無難になるので、憶えておいて損はないぞぉ。

 とりあえず理解してほしいのは、主観と客観の間でも段階がある、と言うことである。オンオフ・あるなしの二元論ではないのだ。
 例えば《登場人物外特定視点》でも、心理描写を行っていれば《登場人物内視点》に近づく。また逆に《不特定》の方に近づくこともある。
 だから視点の分類は意味がないのだ。
 もうちょっと近づけようかな、とか。もうちょっと客観的にしていようかな、それなら三人称だな、とか。
 だから一人称と三人称には、明確な違いはない。別物ではないのである。

 もしも、本当の達人であれば、こんな離れ業だって不可能ではない。
 例えば、ひとつの作品の中で、最初は《登場人物内視点》から《登場人物外特定視点》へ移行し、そのまま読者に矛盾を感じさせずにラストでは《物語外視点》になっている。一人称のはずが、気がついたら三人称になっている……などなど。

 かなり実験小説的な試みだ。しかし過去に例がなかったわけではない。ゆえに不可能とは言わないが、熟練するまでは、やめておいた方が無難である。
 それ以前に初心者であれば、視点の《立場》を固定しながら文章を書くだけでも、難事となるはずだ。
 やはり視点は固定して、狂わせないのが、オーソドックスである。ベーシックは、王道であるがゆえにベーシックなのだ。

 と以上、ベーシックを踏まえた上で、ここからが応用。上級者向け。視点のさらなる深奥にご案内しよう。


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