視点 その21

   「作者の語り」文体の効果(1)




 物語に没頭しているはずの読者へ、なぜわざわざ作者が口出ししなければならないのか。作者の視点にはどのような意味があるのか。もちろん、それなりの効果があるからだ。

 どんな視点・人称であっても、作者が書いているのに違いない。どんな人称も、《作者の語り》のバリエーションのひとつに過ぎない。要は、作者の設定する《語り手》が「誰」のつもりになって、代弁して物語を語るか、によって視点も人称も変わっているということになる。

 そうすると三人称とは、セリフの話法でいうならば、作者が間接話法で物語を語っているということになる。
 間接話法とは他人の言ったことを文章の中に表現するとき、そのまま引用することをしないで、書き手の立場からその内容を間接的に述べる話法のことだ。

《例》彼はおはよう、と朝の挨拶を述べた。

 つまり三人称とは、物語内の独白・セリフを、作者が代弁してあげているという文体だ。

 ならば一人称はどうなるのか、というと直接話法になる。
 直接話法とは、文章の中で他人の言葉を引用する時に、そのままの形で書き表す表現法だ。例えばカギ括弧(「 」)を使って、セリフをそのままの形で書けば、直接話法ということになる。

《例》ボクは挨拶した。「お早うございます」

 一人称の場合は全編、主人公の独白まで含めてカギ括弧すら使わず直接に、それこそ心の流れまで読者へ伝えられる。だから、内心全ての直接話法こそが、すなわち一人称であると考えても良いかもしれない。

 すると物語外視点はどうなるかというと。三人称のように、他の誰かキャラになりきるのでもなく、誰か他人について語るのでもない。作者自身の内心を、一人称で読み聞かせることこそが、物語外視点の文章ということになる。


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