視点 その22

   「作者の語り」文体の効果(2)



 さて、ここで先述した、視点の大原則について思い出してほしい。

●観察は、焦点子から、モチーフに向かって行われる。
●モチーフから焦点子自身へ、観察が逆行することはできない。
●自分自身を客観的に知ることはできない。

 物語外視点の文章とは、作者が自分自身について語っている。つまりモチーフは自分だ。作者として物語について語ったとしても、その物語を考えたのは作者だ。だから自分で自分について語っているのには違いない。
 ということは、物語外視点では「モチーフから焦点子自身へ、観察が逆行することはできない」および「自分自身を客観的に知ることはできない」という原則を破っていることになる。
 そう。物語外視点とは、根本的に視点の狂った《自己言及》の文章なのだ。

 例えば「果たして彼らの運命やいかに!?」という物語外視点の文章があったとする。だが、そう語る作者は「彼ら」の運命を、当たり前だが知っているわけだ。なにせ他の誰でもない作者なのだから。
 ということは、この「果たして……」という文章とは、作者が自分で自分の物語に対して、「私の語るこの物語は波瀾万丈ですよ」と自己評価を下しているに等しい。つまりは自己言及なわけだ。

 物語内の存在は、物語外の存在を知り得ない。焦点子が物語内に位置する場合、物語外の存在を描写することは出来ない。対して物語外視点の焦点子は、物語内も物語外も、全てを描写することが許される。物語外視点の焦点子は、物語内に対して、全知の存在として機能する。
 といっても視点の狂った文章であることには違いない。自己言及や視点の狂い、という悪文に対する危険を覚悟で、《毒消し》が必要だ。なので物語外視点文は、ある特定の効果を狙って使われることになる。

 なので物語外視点を使っても構わないのは、以下のような場合になるだろう。次章ではそれぞれの条件について詳しく説明する。

「作者の語り」が可能な場合
●自己言及にならない。
●作者自身が物語のルールについて意識的に語る。
●「物語自体」に対する、異化効果を狙う。
●絶対の断言をしても構わない場面。


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