視点 その24

   「作者の語り」文体の効果(4)




■絶対の断言をしても構わない場面

 この使い方こそが、物語外視点の持つ効果として、最大の武器になるだろう。うまく使えれば、だが。

 物語外視点は常に自己言及となる。自己言及ゆえに物語視点は主観描写となる。自己言及で物事を断定した言い方をしたとしても、強い説得力は持てない。「お前の中では正しいんだろ、お前の中だけではな」というヤツだ。

 しかし先述した通り、物語のルールについて意識的に語る場合ならば物語外視点は許される。ならば主観であったとしても、絶対的に正しい意見、正しくなければならない意見ならばどうだろう。
 その意見は確かに主観かもしれない。だが、この物語内では絶対的に正しいものとして扱われなければならない。でないと物語が成立しない。反論の余地は全くなく、「アッ、ハイ」としか答えられない。そんな意見ならば。読者も「そういうもの」として受け入れられるはずだ。
 描写では作者が勝手に判断を下してはならない。読者が物語を想像し、入り込む余地がなくなるからだ。だがこの手法では逆に、読者から判断の自由を奪うという効果があるのだ。

《例》
「さあさ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」
「俺のこの手が真っ赤に燃える! 勝利を掴めと轟き叫ぶ!」
「今宵の虎徹は血に飢えておる」
「アニキは死んだ、もういない! だけど俺の背中に、この胸に一つになって生き続ける!」
「これが逆境だ!」

 こうした言説は既に、講談や落語や浪曲などの古典話芸に近くなる。小説以前の文学、神話や民話といった古来の物語は全て、話者が聞き手に話して聞かせる「ものがたり」だったのだ。この手法は、その時の効果を蘇らせるものだ。原初的、ゆえの強みだともいえる。

 コツとしては、聞き手に呼びかけるように。高らかに語り上げる。黙読ではなく音読として、リズムの良さを意識しよう。
 まあ動画サイトなりレンタルなりで、落語や講談や浪曲を実際に聞くと良い。文字を眼で追うだけではない。こうした口承も文学の、また別の側面。きっと役に立つはずだ。


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