視点 その25

   やってはいけない物語外視点(1)




 以上、特殊文体として様々な効果のある物語外視点ではあるが。効果以上に失敗する恐れの方が大きい。というわけで物語外視点にはどのような禁則があるかをお教えしよう。

 物語外視点文体は基本的に自己言及となる、ゆえに本来は禁じ手だ。ゆえに、どうしても欲しい効果があるとか。理由がない場合はやらないように。
 まず物語外視点で単なる状況説明を行えば、まず失敗する。

《悪例》
●「彼は山田太郎、どこにでもいる普通の高校生だ」
●「だがこの事件が大いなる物語の序章に過ぎなかったとは。神ならぬ身の彼らに、今はまだ知るよしもなかった」

 なぜなら物語外視点は自己言及となる。自己言及文に客観的な正確さは期待できない。
 だったら、読者が感じるべき印象は、やはり読者自身で感じさせた方が良い。つまり描写こそが王道ということだ。
 どうしても、という場合のみに強弁として物語外視点を使う。強弁と、単なる説明とを、ちゃんと使い分けよう。

《悪例》
●「つまらない会話だった」→どうつまらないのか描写しろ。
●「オレの作ったキャラクター、めっちゃ萌え萌えやろー」→どう萌え萌えなのか描写しろ。

 物語外視点文において、メインモチーフは作者自身の気持ちになってしまっている。つまりテーマがすり替わり、視点の狂いが起こっているわけだ。そこに読者を気づかせてはならない。
 なぜなら読者は物語を読みたいのだ。作者には興味がない。物語の途中で、現実に引き戻してはならない。

 なので事前に描写によって、外堀を埋めるようにイメージを固めてゆく。そして断言。するとイメージは印象として昇華・結実。読んだ方は「シビれるぅ!」と共感できるようになるワケだ。
 そのためには読者の気持ちと、作者の気持ちを一体化しなければならない。物語外視点は簡単に読者も冷めてしまわないくらいに、夢中になってからにしよう。
 その意味で一人称に近い文体でもある。物語を飛び越えて、作者が読者の感想まで代弁してしまうのが、物語外視点だ。だから物語外視点文は自己言及であるとしても、作者の「意見」であるべきだ。

 どうやら、物語外視点は描写の一部として行う程度で丁度良いらしい。もしかすると、物語外視点はモチーフに対して付加させるイメージを増幅・より強く凝縮させるさせる効果があるのかもしれない。
 ただ逆に、あまりカチコチにイメージが固まってしまうと読者はそこで満足してしまい、もう物語の続きを読む必要がなくなってしまうかもしれない。
 そこは難しいところだろう。


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