視点 その32 焦点子による主旨の表出 |
|
|
|
当たり前だが、あらゆる文章は誰かが書いたものだ。書かれたからには、どんな文章にも作者の書いた意図・主旨が存在するということになる。 しかし作者と語り手とは別物である。読者に伝わるのは、あくまでも語り手の主旨だけだ。読者にとって作者の存在は知ったこっちゃない。 だから、こうともいえる。 主旨は語り手、つまり視点にこもる、と。 例えば先述した、不倫の物語だ。夫と妻と愛人とで、視点が変われば、「これはどのようなテーマの物語なのか」という主旨が変わる。物語内で起こっている事件など、モチーフが変わっていなくても、だ。 つまり、モチーフをどう見るか、という視点の設定。つまりは「描写の切り口」こそが主旨を決定づけるのだといっても良い。 ちなみに作者が自身のテーマを語りたいという都合のために、モチーフを歪めたとしたら。それは作者が物語内に介入したと見なされ、視点の狂いとなる。物語外視点よりも、もっと酷い介入だ。 だから御都合主義は許されない、ということになるのである。
ね? 感動できないでしょ。 |