視点 その43

     「視点隠し」の技法(2)




 さて。ならば「視点隠し」を、実際にやってみよう。

《例》
 そこは寂れた工場町だった。高度成長期の活気も終わった、つまらない町だ。
 町には川が縦断している。川に沿って、工場が建ち並ぶ。町のどこも同じ代わり映えのない景色が続いた。
 まだ公害規制の緩い時代で、排水は川へ垂れ流し。水面はカラフルに変色し、川底には気色の悪い藻が一面に生えている。

 だが気の滅入りそうになる川沿いの道を、小学校から徒歩で二十分も歩いて下る。すると景色は一変した。
 澱んだドブ川は幅が急に広がり、海へと流れ込む河口になる。夕方にもなると沈み駆けた日を照らして、さざ波が銀色に輝く。視界を遮っていた工場群も途切れて、空はあかね色に染まった。
 道中とぼとぼと歩き、俯いていたとしても、空を見上げられる、ここが唯一の場所。

 子供の頃、住んでいたこの町で。僕はなにか嫌なことがあると、ここに来て夕焼けを見るのだった。

 ボクが実際に書いてみた。
 この例文はつまり、ゴッドビューで情景描写をやっているとみせかけて、実は一人称の主体が移動していた視線を追っていたのでした、というわけだ。
 焦点子の黙説法というわけである。これが視点隠しの技法だ。

 ゴッドビューの文章は主観が薄く、これといった特徴を持たない。ゆえに他のあらゆる視点人称と混ぜても、違和感がない。
 そうした「特性がない」という特性を利用して、最初は焦点子を隠して文章を進めてしまう。読者もゴッドビューかと思って文章を読み進めてしまう。しかし描かれる情景は移動している。移動しているということは、背後に主体性を持って「移動」している誰かの存在を示唆しているわけだ。
 最後に、実は一人称文でした、とネタバラシしてしまう。

 この技法は、ゴッドビューとして客観的な事実から入るので、読者は物語内の事象に納得がしやすい。しかも焦点子の「まなざし」といつの間にか同化してしまう。焦点子の見る風景から、主体のキャラクターがいつの間にかイメージできてしまう。
 だから視点隠しの技法は、冒頭への導入がスムーズになる効果があったりする。

 ただしゴッドビューとして視点を隠している段階から、実は一人称ですよ、ということを意識しておくこと。ゴッドビューだからと、安直に俯瞰視点なんて使ってはならない。
 一人称にとって、俯瞰の広い視点は、自分が見えない視野の外まで見えている。つまりはブラインドの向こうを描写していることになる。視点の狂いだ。
 ということは焦点子以外のキャラクターの内心もブラインドということになる。一人称で他人の気持ちを勝手に代弁してはならない。基本だ。

 つまり注意点といっても視点と、この場合は黙説法の基礎は守る。基本ができていないと、応用もできないということだ。


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