/
 視点 その50

     パースペクティブとフォーカス




 ボクもずっと視点と人称について考えてきたが。ひとつ、気づいたことがある。そもそも「視点」なんて言い方をするから、ややこしくなるのだ。「視点」だと、どうしても「見える光景」と考えがちになってしまう。
 だが実際の視点が持つ機能とは、視覚に限ったものではない。視覚以外にも、聴覚触覚味覚嗅覚といった五感に。場の視点や、地の文による、客観的な意見。あらゆる手段でもって描写というのは行われる。

 つまり視点とは、何にどう興味を持ったかということ。主体が何に、どう注意したかによって視点は決定する。
 では主体の興味が向く、注意することによって、文章がどうなるか、見てみよう。

 まず注意が一点に集中するのだから、他のことに興味が失われる。ということは中心となるモチーフ以外の、余計な描写は省かれることになる。
 対して、主体は注意する箇所をまじまじと観察することになるのだから。注意点に関する描写量だけが増える。だから濃密に描写しているモチーフや、これは事実であると断定している文章は、焦点子が注意しているということになる。

 すると注意点に関する描写は、詳細なものになってゆく。これはパースペクティブでいうと、近くなるのと同じ効果になる。
 またモチーフと焦点子との距離感が近くなることで、最終的には描写そのものによって、焦点子自身の描写を行うことになる。つまりは三人称文であったとしても、視点が集中することで、一人称に近くなるということだ。
 こうした「視点の集中」効果を写真撮影に喩えて、「ピントが合う」「フォーカスが絞られている」状態という。

《例》
「太郎にとって彼女は美人に見えた。胸も大きい。なんて谷間だ」
(おっぱい好きの視点で、だんだんとフォーカスが絞られる)

 その逆に、焦点子が主旨から注意が外れるとどうなるか。まず、中心から興味がなくなり、余所見をし始める。焦点子とモチーフとの関係は遠くなり、主観は薄れて、客観視することになる。つまりは他人事になる。
 これを「フォーカスが絞られる」・「ピントが合う」に対して、「ピンぼけ」になる状態だといえるだろう。

《例》
 彼女は大学のサークルでも一番可愛くて姫扱いだった。大学卒業後、すぐ結婚する。魅力的な彼女との結婚に周囲は大いに祝福してくれた。
 だが彼女は家事もせず家に篭もってゲーム三昧の日々。一方自分は会社で忙しい毎日を送るうち、部下も人脈もできて仕事が楽しくなってくる。大学時代の友人たちとも合わなくなったが、連絡はとっていて、それぞれの日々を送っているようだ。
 帰宅後、ふと妻と会話すると彼女は大学時代の思い出しか語らなかった。果たして自分は彼女のどこが魅力だったのか。もう思い出せない……。

 こうして文章として表現される興味の量を自在に操ることで、焦点子を通し読者の視線を誘導することができるようになるはずだ。


← Return

Next →


Back to Menu