ストーリー その4

   情報の並べ方




 先程ボクは「面白さとは、価値ある情報を知る過程」であると言った。
 「過程」であると言うことは、前後があり、つながっていると言うことだ。物語化された情報は、単独では成立しない。物語においてひとつの情報は、前後もしくは全体との相互関係が生じる。
 つまりは、これから語り手が提示しようとする情報を、受け手が欲しがってくれないと、価値は生じないと言うことだ。

 だが物語で提示できる情報の数と言うのは、実は限られている。
 例えば、ウラジーミル・プロップの『昔話の形態学』と言う有名な論文がある。ここでプロップは、昔話の構造は31の機能に分解できる、と論じている。
 またこれは、ストーリー構成とは別の、人物造形の話になる。物語創作をしていて調子が良いと、「作者の手を離れて、キャラクターがひとりでに動きだす」とは聞いたことがないだろうか。今は詳しく語らないが、物語における理想の人物造形とは、まさにその「語り手の思惑を離れて、キャラクターが勝手に動いてくれる」状態だといえる。

 では物語に提示するべき情報とは、語り手とは関係なく、最初から存在しているのか。語り手に出来るのは、用意された情報をただ忠実に「写実」するだけなのか。それは半分正解で、半分間違いだ。

 語り手の仕事とは構成である。構成とは、情報の編集作業だ。何を語って、何を語らないか、そしてどの順番で、どう語るか。同じモチーフを扱っても、語り手によって面白くなったり面白くなくなったりするのは、この情報編集能力の差なのだ。
 ならば「布団が吹っ飛んだ」レベルの使い古された駄洒落でも、語り手のウデと、使いようによっては大爆笑のギャグと化すことも可能と言うことだ。
 受け手が欲しがるのは、情報の並べ方そのものだと言っても良い。つまり、効果的な情報の並べ方さえ知っていれば、誰でも一端のストーリーテラーになれるはず、なのだ。

 そして既に先人たちの努力と経験則から、理想とされている情報の並べ方はいくつか考え出されている。これからボクは、その「理想の情報の並べ方」について、解説を加えよう。
 その「理想の並べ方」とは、《起承転結》、《ハリウッドのタイムテーブル》、《序破急》のみっつだ。
 なにがどこに並べられているのか、なぜその並べ方になったのか。実際に分析してみよう。







 ……ようやく「ストーリーの作り方講座」らしくなってきた。ストーリーの作り方と言うと大抵はそうやって、さっさと「どこそこで盛り上げるべきだ」とか教えているのに。
 だけどボクは、ただ「言われた通り盛り上げれば面白くなるはず」だから言われた通りに並べる、と言うのでは納得できなかった。もし言われた通りにストーリーを並べて面白くなかったとしても、誰も責任を取ってくれはしない。
 ボクはこう言った。「《構造》は面白くなるための必要条件ではなく、十分条件に過ぎないのではないか。《構造》を持っていても面白くなるとは限らない」と。
 語り手はきちんと「面白いと言われている盛り上げ方」ではなく、「面白くさせるための盛り上げ方」を知らなければならない。でなければ、ボクたちはいつまでたっても面白さの根拠を持てない。ストーリーテリングは一握りの、センスを持つ天才の所有物だった。そろそろ凡才の努力が、センスと言うオカルトに追いついても良いと思うのだ。


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