描写 その10

       文意と描写




 描写とは、意味により生まれるイメージを新たに作り出す。しかし意味とは、言葉だけで成立するものではない。複数の言葉が並ぶと、文章になる。文章になると言葉は互いに関係し合い、意味を変える。
 そう、意味とは単語だけで決まるものではない。複数の言葉が組み合わさった《文》としても、《文意》というものは変わってくるのだ。
 そして描写とは意味により生成されるものならば当然、描写は《文意》によっても変わってくる。書き手は描写を使う際、このことにも注意しなければならない。

 試しに下記のふたつの例文を見てほしい。

   例文A : 「彼はハンサムだが意地悪だ」
   例文B : 「彼は意地悪だがハンサムだ」

 両方の例文とも同じ主旨に思えるかもしれない。だが少しだけ意味が変わっている。
 例文Aでは、「彼はハンサム」と褒めてから「だが意地悪だ」と貶している。つまり、プラスになっている特徴を、後から打ち消しているわけだ。その結果、残るのはマイナスの特徴だけ。彼は、プラスが打ち消されるほどの、マイナスの持ち主だということになる。
 例文Bでは、「彼は意地悪」と貶してから「だがハンサムだ」と褒めている。つまり、マイナスになっている特徴を、後から打ち消しているわけだ。その結果、残るのはプラスの特徴だけ。彼は、マイナスが打ち消されるほどの、プラスの持ち主だということになる。
 例文で使われている単語は両方とも同じである。しかし組み合わせ方によって、こんなにも意味のニュアンスが変わってくるものなのだ。本当に描写を使いこなすには、こうした《文意》によるニュアンスの違いまでも意識すべきだろう。

 以上のような、文意によるニュアンスの違いは、もしかしてコンテクストの問題に似ているかもしれない。
 コンテクストとは何なのか。詳細はこちらを読んで欲しい。
 そしてコンテクストの問題が密接に関わってくるのであれば、描写においても《コンテクストのすりあわせ》や《コンテクストのズレ》があるということになるだろう。

 例えば《コンテクストのズレ》ならば、「私はハンサムだ」という描写を行ったとしても。中には「涼やかな目元」がハンサムな条件と繋がらない人もいるだろう。いや下手をすると、とんでもない条件こそがハンサムであると感じる人だっているかもしれない。
 しかも描写は文意のような文脈[コンテクスト]によってもイメージが変わってくる。ならば、どの程度の描写を行えば主旨を理解してもらえるのだろうか?
 もうここまで来ると、どんなに優秀なスーパーコンピューターでも計算不可能な領域だ。頼れるのは経験と勘という、職人の世界になってくる。
 何作も何作も書いては、読まれるという経験を積み、《コンテクストのすりあわせ》を行い、腕を磨くしかない。

 ゆえにボクは描写の基礎概念しか教えられなかった。描写に絶対唯一の正解はないからだ。……おかげで、描写の実作業に関する講義を書くに当たっては、頭を痛めたものだ。
 だがここまで説明してきた、描写の基礎概念を知らなければ、いったい自分は何を書いているのか。それすらも把握できない。描写を修得するには、少しずつ歩みを進めるしかないが。その基礎概念すら知らなければ、歩みを進めることすらできないだろう。

 だから後は各人で、自分の描写とは何なのか。講義を参考にしつつ、他人から盗み、自分のものとして消化していってほしい。この学びは、あなたが小説書きである限り、終わることはない
 ちなみにボクも普段から書いている文章で、既に描写はずっと使っているよ? それこそエッセイで、でもだ。
 是非とも盗んでってね!


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